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ビートルズの名曲トップ40, Pt.4 (10-1)

10. While My Guitar Gently Weeps (1968)

アルバム「ザ・ビートルズ」に収録されたジョージ・ハリスンの楽曲で、イギリスやアメリカではシングルカットざれていないがひじょうに人気がある。

この頃にはビートルズのメンバー間の人間関係が悪化してきていたのだが、それを嘆いているような内容なのではないかといわれている。

ジョージ・ハリスンの友人であるエリック・クラプトンがギターソロを弾いていて、これもとても素晴らしいのだが、おそらく様々な理由によりクレジットはされていない。

9. Help! (1965)

映画「ヘルプ!4人はアイドル」のテーマソングとしてリリースされ、イギリスやアメリカをはじめいろいろな国々のシングル・チャートで1位に輝いた。

主にジョン・レノンによって書かれているが、当時はあまりにも人気がありすぎてひじょうに忙しく、混乱してもいたため、助けを求める歌詞の内容は本当の心の叫びでもあったという。

8. I Want To Hold Your Hands (1963)

「抱きしめたい」で知られる初期の代表曲で、すでに絶大な人気があったイギリスだけではなく、アメリカでも初めてシングル・チャートの1位に輝いた。

この頃はまだジョン・レノンとポール・マッカートニーが向かい合って一緒に曲づくりをしていたらしく、この曲もそのようにして出来あがったという。

7. I Am The Walrus (1967)

シングル「ハロー・グッドバイ」のB面としてリリースされ、「マジカル・ミステリー・ツアー」のEPやアルバムにも収録された。

ジョン・レノンによって書かれた曲でサイケデリック色がひじょうに強く、歌詞もシュールレアリスティックというか感覚的すぎて意味がよく分からない。だが、そこが良いというような楽曲である。

「Walrus」とはセイウチでルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」に出てくる「セイウチと大工」にインスパイアされたようだ。とはいえ、実はセイウチが悪役であったことをこの時には意識せずに書いたらしく、後で後悔したのだという。

オアシスがカバーしていて、シングル「シガレッツ&アルコール」のB面にライブバージョンが収録されていた。

6. Eleanor Rigby (1966)

「イエロー・サブマリン」との両A面シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで1位に輝いた。アルバム「リボルバー」にも収録されている。クレジットはレノン=マッカートニーだが、主にポール・マッカートニーによって書かれている。

ロックバンドの楽曲であるにもかかわらず、演奏は弦楽八重奏でテーマは孤独な老人というひじょうに攻めた内容となっている。ビートルズのメンバーではポール・マッカートニー、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスンがボーカルやコーラスで参加しているが、楽器は誰一人として演奏していない。リンゴ・スターに至っては、まったく参加すらしていない。

「エリナー・リグビー」という人物がかつてリヴァプールに実在したらしく、墓はビートルズファンの聖地になったりもしているのだが、ポール・マッカートニーは特にこの人のことを書いたわけではなく、まったくの創作だということである。

5. Something (1969)

「アビイ・ロード」に収録されたジョージ・ハリスンによる楽曲で、「カム・トゥゲザー」との両A面シングルとしてもリリースされた。全英シングル・チャートで最高4位、全米シングル・チャートでは1位に輝いている。

ビートルズの曲としてのみならず、ラヴソングの名曲としても知られている。ジョン・レノンはこの曲を「アビイ・ロード」の収録曲で最も優れていると評し、ビートルズの楽曲では「イエスタデイ」に次いで2番目に多くカバーされているという。

歌い出しの歌詞である「Something in the way she moves」は、ジェームス・テイラー「彼女の言葉のやさしい響き」の原題であり、この曲からインスパイアされたことをジョージ・ハリスンも認めている。後から別の歌詞に直すつもりだったが、最初に思いついたのがそれだったため、代わりうるものが見つからなかったという。

妻であるパティ・ボイドに捧げたラヴソングとされているが、曲を書いた時にイメージしていたのはレイ・チャールズだという。

4. Hey Jude (1968)

ポール・マッカートニーによって書かれた楽曲で、イギリスやアメリカをはじめ多くの国々のシングル・チャートで1位に輝いた。

ジョン・レノンがオノ・ヨーコと付き合ったことにより、当時の妻であったシンシアとは離婚することになるのだが、二人の間の息子であるジュリアン・レノンを慰めるためにポール・マッカートニーが書いたとされている。

後半のアンセミックなコーラスがひじょうに印象的であり、約7分11秒と当時のシングルとしては長すぎたにもかかわらず大ヒットした。

3. Strawberry Fields Forever (1967)

「ペニー・レイン」との両A面シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高2位、全米シングル・チャートで最高8位を記録した。

ジョン・レノンによる楽曲で、タイトルの「ストロベリー・フィールズ」は幼少期によく遊んでいた救世軍の孤児院のことだという。

ノスタルジックでありながらサイケデリックな感覚が前面に出ていて、様々な音楽的な実験も行われている。かなり時代を先取っていたようにも思え、解散後に評価がさらに高まっていったような印象を受ける。

トッド・ラングレンが1976年のアルバム「誓いの明日(原題:Faithful)」でカバーしているが、この曲のカバーバージョンで最もヒットしたのは、1990年に全英シングル・チャートで最高3位を記録したキャンディ・フリップによるシンセポップ調のものである。

2. Tomorrow Never Knows (1966)

アルバム「リボルバー」の最後に収録された曲で、ジョン・レノンによって書かれているが、タイトルは「ハード・デイズ・ナイト」などと同様に、リンゴ・スターがふと発した一言が元になっている。

この頃、ビートルズはライブ活動をやめてスタジオワークにより凝っていくようになるのだが、この曲においてもテープの逆回転など様々な実験的な技法が用いられ、ポップミュージックの可能性を拡張しているように思える。

イントロでカモメの鳴き声のような音が聴こえるのだが、これすらもポール・マッカートニーの笑い声を加工したものだという。

ヒット曲というわけではまったくないのだが、ビートルズが超人気バンドでもありながら、いかにポップ・ミュージック史における革命的な存在であったかを象徴するような楽曲だともいえる。

1. A Day In The Life (1967)

現在、ビートルズの最も優れたアルバムは何かという問いに対してはいくつかの回答が存在しているような感じではあるのだが、ある時代までは「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ」一択というような雰囲気というか圧のようなものがあったようにも思える。ロックを芸術の域まで高めた作品などといわれたりして、たとえばクラシック音楽などに対してポップ・ミュージックというのは下等であり聴くに値しないと思っているような人たちが、これだったら認めてあげてもいい、と感じられるようなそれである。

一方でそういう評価というのはなかなかしょうもなく、けしてカッコよくはないのではないか、というような価値観も存在する。それでいうと、この「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の現在の評価のされ方というのは、丁度いい感じに落ち着いてきてなかなか健全なのではないかとも感じるのだが、最も優れた楽曲といえばワールドスタンダード的にそのアルバムの最後に収録されているこれということに、現在はなっているようである。

主にジョン・レノンによって書かれているが、途中の目を覚ましてからの一連のくだりはポール・マッカートニーによるものである。冒頭のニュースを読んだというくだりには実際に起こった事件が元になっているようなところもあるのだが、それについてそのまま取り上げているというわけでもない。

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