カルチャー・クラブ「君は完璧さ」について。

カルチャー・クラブ「君は完璧さ」の発売日について調べていくと、1982年9月3日と6日の2つの説が見受けられるのだが、今後の文章には一切影響はしないとしても、とりあえず6日だったということにして話を進めていきたい。

カルチャー・クラブというのがイギリスで人気のカラフルでポップなニュー・ウェイヴ・バンドの名前として日本でも広まるまでにそれほど時間は要しなかったのだが、それ以前の日本において、カルチャー・クラブといえば主婦などを対象に手芸や生け花などを教えている教室のような印象が持たれていたような気もするのだが、もはや記憶があやふやな上に、仮にそのような事実があったとしたところで、どうせ誰も覚えてはいないのでそれは良い。

とにかくカルチャー・クラブはイギリスで「ホワイト・ボーイ」「あしたのボクは?」と2枚のシングルをリリースするのだが、全英シングル・チャートでの最高位はそれぞれ114位、100位と振るわず、次のシングルがヒットしなければアルバムは出せないという瀬戸際の状況だったらしい。「君は完璧さ」の歌詞はボーカリストのボーイ・ジョージが書いているのだが、公表はしていなかったものの当時、付き合っていたドラマーのジョン・モスとの関係性をテーマにしていた。あまりにも個人的な内容だったため、シングルでリリースしたくはなかったらしいのだが、これが全英シングル・チャートで1位に輝く起死回生の1曲となる。

日本でもイギリスのニュー・ウェイヴを好む都会の若者達にはすでに人気だったようだが、この曲の邦題は当初「冷たくしないで」というものであった。さすがにエルヴィス・プレスリー「Don’t Be Cruel」の邦題として知られすぎていたからか、他の理由があったかは定かではないのだが、いつの間にか「君は完璧さ」に改題されていた。「君は本当に僕のことを傷つけたいの?」という恋愛における悩みや不安を吐露した内容となっているのだが、「君は完璧さ」という邦題はなかなか良いのではないかと感じた。

レゲエのテイストも取り入れたサウンドとソウルフルなボーカルはポップソングとしてとても魅力的だったのだが、当時のカルチャー・クラブで話題になっていたのは、そのインパクトの強いルックスである。ボーカリストのボーイ・ジョージは男性だが、化粧をして女性ものの洋服を身に付けている。バンドメンバーも人種が混合したカラフル性あり、そこがとても新しく感じられた。イギリスで「君は完璧さ」が大ヒットするきっかけになったのも、テレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に出演した際のルックスのインパクトによるところが大きいのではないかともいわれている。しかも、この出演はシェイキン・スティーヴンスが出演できなくなったため、急に決まったものだったという。

「君は完璧さ」は1982年の暮れにはアメリカでもリリースされ、翌年には全米シングル・チャートで最高2位のヒットを記録した。同時期にチャートの上位にランクインしていたデュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」と共に、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンを一気に加速させたような印象がある。「君は完璧さ」の全米NO.1を阻んだのはマイケル・ジャクソンのモンスターヒットアルバム「スリラー」から2枚目のシングルとしてカットされた「ビリー・ジーン」であった。これらのヒット曲はいずれも映像を効果的に用いていたことが特徴である。音楽専門のケーブルテレビチャンネル、MTVが開局したのは1981年の夏で、この頃にはヒット・チャートに大きな影響を及ぼすまでの存在になっていた。

ルックスにとにかくインパクトがあったカルチャー・クラブは、まさにMTV時代の申し子とでもいうべきバンドでもあった。男性なのだが化粧をして女性ものの洋服を着ているボーイ・ジョージはいわばアウトサイダーな訳であり、ジュリアン・テンプルが監督をした「君は完璧さ」のミュージックビデオでは、歴史上のいろいろな場所で追い出されたりする。ポップ・カルチャーの重要な役割の一つとして、アウトサイダー的な人達の心の支えになるということもあると思うのだが、カルチャー・クラブにもやはりそのような機能があり、「君は完璧さ」のミュージックビデオは、それをメッセージとしても分かりやすく発しているような印象があった。

当時、旭川で高校生だった私は土曜日の放課後にESTAに寄って、「ミュージック・マガジン」を立ち読みしながら、ブルース・スプリングスティーン「ネブラスカ」とビリー・ジョエル「ナイロン・カーテン」との評価にはどうしてこんなにも差があるのだろうか、と心を痛めたりもしていたのだった。東神楽町から通っているオフコースなどを好む女子達がボーイ・ジョージが表紙の雑誌を見て、男なのにこんなに綺麗なのは反則だよ、とかそんなことを言っていたような気がする。後にボーイ・ジョージはわりと大男で話す声は意外と低いことが知られるようになるのだが、「君は完璧さ」には、すべてが目に見える通りとは限らない、またこの恋も終わりだ、というようなフレーズがあったことが思い出される。

ありふれた人達とは違っていて、個性的でユニークでいることは罪なのだろうか、悲しいラヴ・ソングのようでありながら、そういった実存的なテーマも扱っているところにこの曲の素晴らしさがあるような気がする。