brown and white concrete building

欧陽菲菲「雨の御堂筋」について。

大阪に初めて行ったのは2007年の真夏であり、目的は大阪城公園で開催されていた「オーサカキング」というイベントでモーニング娘。の道重さゆみと光井愛佳が出演するラジオ公開録音を観覧することであった。それ自体にはいろいろ感動することも多く、他のところに何度も書いたりはしているのだが、ケンドーコバヤシの名前が付いたケンコBARで「おつかレイナ」なるカクテルを飲んだりいろいろ楽しかった。この公開録音が見たいという理由だけで大阪に行ったのであり、他に情報はまったく調べていなかった。少し時間があったし、せっかくなので観光でもしようかと新大阪駅の周りを適当に歩いていたのだが、グリコの看板だとか「かに道楽」だとか「じゃりン子チエ」に出てくるような風景は見られなかったので、おそらく根本的な間違いをしているのだろうという自覚はなんとなくあった。その後、調べて大阪の街のミナミとキタの違いなどをいまさら初めて認識したりしたのであった。

それで、翌年はちゃんと下調べをして大阪に行ったのだが、典型的な観光ガイドブックに載っているようなコースを辿ったりした。大阪のきつねうどんを初めて食べて、その美味しさに感動したりもした。それはそうとして、梅田からなんば、新世界まで御堂筋線という地下鉄にさえ乗れば行けてしまうという事実を知って、これは便利でとても良いと感じた。若者やおしゃれな人達に人気だという心斎橋なども歩いて悦に入っていたのだが、ホテルは本町というところに取っていた。それで歩いているうちに小雨が降ってきて、そういえば「雨の御堂筋」という曲があったのではないかと思い出したのだった。

1971年9月5日にリリースされ、翌々月からオリコン週間シングルランキングで9週連続1位を記録、年末の第13回日本レコード大賞においても、最優秀新人賞は「わたしの城下町」の小柳ルミ子だったが、「17才」の南沙織らと共に新人賞を受賞した欧陽菲菲のデビュー曲を、当時の私がちゃんと知っていたかというとそうでもなかったような気がする。それで気になってちゃんと聴いてみたところ、聴き覚えがあったしとても気に入った。本町の私が泊まっていたホテルの近くには外に向けてたこ焼きを売ってもいるバーのようなものがあり、東京でそのような業態を見たことがなかったので、大阪に来たなと感激したものである。あと、飲食店で会計をした後に「おおきに」と言われると得をしたような気分になった。

「雨の御堂筋」は雨の降る大阪の街を、傘もささずに恋人の姿を追って歩き回るという切ない曲なのだが、台湾の台北市出身である欧陽菲菲の印象に残るボーカルが、さらに切迫感のようなものをかき立てるような気がする。本町、梅田新道、心斎橋といった実在の地名が歌詞に出てくるところも実に良いものである。そして、この曲は昭和40年代の歌謡曲にしては随分と垢抜けているのではないかと思っていたところ、作曲がアメリカのバンド、ザ・ベンチャーズであった。

アメリカでも1960年にリリースした「急がば廻れ(ウォーク・ドント・ラン)」がシングル・チャートで最高2位を記録したりしていたが、1965年に2度目の来日公演を果たして以降、日本の若者達の間にエレキ旋風を巻き起こし、それからずっと人気があるとも言われている。このザ・ベンチャーズの2度目の来日公演以降に放送されていたテレビ番組として「勝ち抜きエレキ合戦」というのがあり、寺内たけし、湯川れい子、福田一郎らが審査員を務めていたという。個人的には当時まだ生まれていないのでもちろん見たことはないのだが、1989年に「三宅裕司のいかすバンド天国」がヒットした時に、フォーマットとしては「勝ち抜きエレキ合戦」を踏襲しているなどとよくいわれていたような気がする。ちなみに「三宅裕司のいかすバンド天国」絡みのイベントに審査員バンドのメンバー、パンク三宅として出演した三宅裕司はザ・ベンチャーズのようなタイプのギター演奏を披露していた。

この辺りはもう伝説としてしか知らないのだが、60年代に青春を送った世代の人達がよく当時のエレキブームのことを語ったりはしていたと思う。エレキギターは不良の象徴だとされてなかなか買ってもらえなかったという話があったり、モト冬樹の実兄であるエド山口が「お笑いスター誕生!!」でエレキ漫談を披露したりしていた。「テケテケテケテケ」というように聴こえるテクニックを用いるのが、特徴だったような気がする。

このザ・ベンチャーズが日本で人気があるということから、意図的に日本情緒のようなものを取り入れた曲をつくるようにもなり、歌謡ポップス界にも進出していったのだという。これらの楽曲は「ベンチャーズ歌謡」などとも呼ばれたりもして、代表的なものに渚ゆう子「京都の恋」などがある。

「雨の御堂筋」はザ・ベンチャーズがまずインストゥルメンタル曲としてリリースし、英語でのタイトルは「STRANGER IN MIDOUSUJI」となるようである。欧陽菲菲のバージョンはこれに「サザエさん」のテーマソングやベンチャーズ歌謡の「京都の恋」なども手がけた林春生が歌詞を付けたカバーということになる。

欧陽菲菲といえば1980年代にドラマティックなバラード曲「ラヴ・イズ・オーヴァー」を大ヒットさせていて、世代によってはこの印象ばかりがひじょうに強かったりもするのだが、70年代には「雨の御堂筋」の他にも筒美京平が作曲・編曲したブラス・ロック歌謡「恋の追跡(ラブチェイス)」など、素晴らしいポップソングがいろいろあって良いものである。

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