ゴーゴーズ「ビューティー・アンド・ザ・ビート」【名盤レヴュー】

1982年3月6日付の全米アルバム・チャートでは、J・ガイルズ・バンド「フリーズ・フレイム」にかわって、ゴーゴーズのデビューアルバム「ビューティー・アンド・ザ・ビート」が1位に輝いた。その後、6週連続で1位をキープし続け、この年の全米年間アルバム・チャートでもエイジア「詠時感~時へのロマン」に次ぐ2位という大ヒットを記録した。

まずはメンバー全員が女性のロックバンドというのが当時としては目新しく、その上、楽曲もご機嫌だというのだから最高であった。この少し前にはやはりメンバー全員が女性のロックバンド、ザ・ランナウェイズが日本でも「チェリー・ボンブ」をヒットさせたりしていたようなのだが、残念ながらリアルタイムでは聴いていなかった。そのザ・ランナウェイズのメンバーであったジョーン・ジェットがこの頃にはザ・ブラックハーツをバックに従えた「アイ・ラヴ・ロックンロール」を大ヒットさせていた。この曲をつくったアラン・メリルは日本で活動していた頃には近田春夫などとも親しくしていたようだが、近田春夫が1986年に立ち上げたヒップホップ専門レーベル、BPMからPRESIDENT B.P.M.名義でリリースした12インチシングル「NASU-KYURI」のB面に収録された高木完と藤原ヒロシからなるTINNIE PUNX「I LUV GOT THE GROOVE」では、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ「アイ・ラヴ・ロックンロール」が引用されていた。

それはそうとして、ゴーゴーズである。「ビューティー・アンド・ザ・ビート」というアルバムタイトルは、「美女と野獣」の英語でのタイトルである「Beauty and the Beast」をもじったものだと思われるのだが、邦題ではそのままカタカナで表記するしかなかったようだ。このアルバムから先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高20位を記録した「泡いっぱいの恋」の原題は「Our Lips Are Sealed」なのだが、アルバムの裏ジャケットでメンバーが石鹸の泡まみれになっていたり、原題の最初の単語である「Our」が「泡」に聞こえなくもないことが関係しているかどうかは定かではない。

この「泡いっぱいの恋」だが、ゴーゴーズのメンバーであるジェーン・ウィードリンとザ・スペシャルズやファン・ボーイ・スリーなどで活躍したテリー・ホールとの共作となっている。ゴーゴーズはザ・ペシャルズのイギリスでのツアーでオープニングアクトを務めたりもしていて、この時に親しくなったようである。1983年にはファン・ボーイ・スリーによるバージョンもリリースされ、全英シングル・チャートで最高7位のヒットを記録している。イギリスでは全英シングル・チャートで最高47位であったゴゴーズのバージョンよりも、こちらの方がポピュラーだという。

ゴーゴーズは1978年のロサンゼルスにおいて、ベリンダ・カーライル、ジェーン・ウィードリンらによって結成されるのだが、後に脱退するマーゴット・オラバリアとの3人は、サンフランシスコで行われたセックス・ピストルズの最後のライブも見にいっていたという。

当初はパンクバンドとして結成され、ロサンゼルスのパンクロックコミュニティに属していたという。メジャーレーベルからはなかなか声がかからず、ポリスのドラマー、スチュワート・コープランドの兄でもあるマイルス・コープランドが設立したレーベル、I.R.S.と契約した。ニュー・ウェイヴのイメージがひじょうに強いレーベルであり、後にR.E.M.やバングルスを世に送り出したりもした。

「ビューティー・アンド・ザ・ビート」から次にシングルカットされた「ウィ・ガット・ザ・ビート」は、メンバーのシャーロット・キャフィーによって書かれたキャッチーな楽曲である。ゴーゴーズのバンドメイトの親和性もあり、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの「ゴーイング・トゥ・ア・ゴーゴー」をカバーする中から着想を得て、それに人気テレビシリーズ「トワイライト・ゾーン」のテーマ曲の要素を加えたのだという。この曲のソングライターであるシャーロット・キャフィーはそれほどパンクロック的ではないため、バンドのテイストに合わないのではないかと思いながらも恐る恐る他のメンバーに聴かせたところ大好評で、これがゴーゴーズが次に向かう、よりキャッチーでニュー・ウェイヴ的な路線への扉になったともいわれている。

イギリスでザ・スペシャルズやマッドネスのライブでオープニングアクトを務めるにあたり、エルヴィス・コステロやニック・ロウなどの作品で知られるスティッフ・レコードからシングルが発売されたりもした。「ビューティー・アンド・ザ・ビート」に収録され、シングルカットもされたバージョンは、アルバムのために再レコーディングされたものである。これが全米シングル・チャートで最高2位のヒットを記録して、ゴーゴーズの存在はいよいよメジャーにクローズアップされていった。

個人的にはその頃、高校受験の合格発表があり、合格していたので自分へのご褒美的な意味合いも含めて、ずっと行きたかった札幌のタワーレコードを初めて訪れた。五番街ビルという建物の中にあった、タワーレコードにとって日本での1号店である。そこで買った何枚かの輸入盤レコードの中に、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの「アイ・ラヴ・ロックンロール」もあった。その帰りに玉光堂で佐野元春・杉真理・大滝詠一の「ナイアガラ・トライアングルVol.2」を買ったのだが、なぜなら当時のタワーレコードはまだ輸入盤専門店であり、邦楽のレコードは扱っていなかったからである。

その後、留萌の祖父母の家にも遊びにいくのだが、入学祝いだったかお小遣いだったかは定かではないが、とにかくお金をもらったのである。となると、もちろんレコードを買うのだが、その時にゴーゴーズ「ビューティー・アンド・ザ・ビート」とラヴァーボーイ「ゲット・ラッキー」を買った。ラヴァーボーイはカナダ出身のロックンロールバンドで、シングルでヒットした「それ行け!ウィークエンド」という曲がスカッと爽やかでとても良かった。当時、留萌でもそこそこ話題になっている洋楽のレコードならば、すぐに簡単に買えたということである。ヨシザキという2022年3月現在も営業しているレコード店ではなく、映画館やファンシーモリヤよりももっと先の方にあった店である。1986年の夏休みには、ここでブロウ・モンキーズ「アニマル・マジック」とダリル・ホール「ドリームタイム」も買った。

それはそうとして、「ビューティー・アンド・ザ・ビート」はポップでキュートでキャッチーなアルバムで、いま聴いてもとても良いということができる。