ビリー・ジョエル「ストレンジャー」について。

1978年8月21日のオリコン週間シングルランキングでは1位がこれで5週目となるピンク・レディー「モンスター」で、続く2位がなんとビリー・ジョエルの「ストレンジャー」である。洋楽にもかかわらず強すぎるのではないかと思いきや、この週は4位がビー・ジーズ「恋のナイトフィーバー」、8位がアラベスク「ハロー・ミスター・モンキー」と、上位10位までの3曲を洋楽が占めていたのだった。

「土曜の夜は<フィーバー>しよう!!」でお馴染み、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」はディスコブームを一般大衆レベルにまで広げ、ジョン・トラヴォルタをスターにしたのだが、アメリカでは前の年の年末から公開されていたものの、日本ではやっとこの年の7月22日になって公開されたのであった。それで、サウンドトラックからは「恋のナイトフィーバー」の他に同じくビー・ジーズの「ステイン・アライヴ」が19位に入っていたわけである。ちなみにこの頃、アメリカでは同じくジョン・トラヴォルタとオリヴィア・ニュートン・ジョンが共演したミュージカル映画「グリース」とそのサウンドトラック盤が大ヒットしていたが、日本で公開されるのは12月9日からであった。それで、「スター・ウォーズ」はアメリカで1977年5月25日公開で、日本では1978年7月1日だった。

この年の夏はサーカス「Mr.サマータイム」と矢沢永吉「時間よ止まれ」のイメージである。いずれもオリコン週間シングルランキングで1位に輝いていた。サザンオールスターズは6月25日に「勝手にシンドバッド」でデビューしていたが、これはじわじわ売れていって、「ザ・ベストテン」に初登場するのは9月も後半になってからだった。当時、私は旭川の小学生だったが、8月後半には2学期がはじまっているので、夏は実質的にもうすでに終わっていた。東京などでは夏休みが8月いっぱいまであると聞いて、とてもうらやましく思っていた。そのかわり冬休みが長いわけだが、冬は寒いし特にやりたいこともそれほどないので、それならば夏休みが長い方がずっと良いと考えていた。

それで、小学校高学年といえばラジオで深夜放送を聴いたりすることがひじょうに盛り上がってくるわけだが、特にニッポン放送をキーステーションにSTVラジオで放送されていた「オールナイトニッポン」である。まずは次の日は学校が休みなので安心して聴いていられる土曜深夜の笑福亭鶴光からはじまるのだが、そのうちそれ以外の平日も聴きながら寝て、途中で起きて聴いてまた寝るということになっていく。この頃のパーソナリティーは月曜1部が松山千春で2部が糸居五郎、火曜は一部が所ジョージで二部が近田春夫、水曜は一部がタモリで二部がコッペ、木曜は一部が南こうせつで二部が塚越孝、金曜は4時間ぶっ通しでつボイノリオであった。

洋楽のレコードを買ったりはまだしていなかったのだが、ラジオであまりにもかかりすぎて自然と覚えてしまうようなものはあった。ビー・ジーズの「恋のナイトフィーバー」はテレビでも映画のCMがガンガン流れていたので、否が応でもそれはまあ覚える。あと、やはりビリー・ジョエルの「ストレンジャー」もそうだった。この曲はイントロの口笛がまず印象的で、夜遅くにラジオから流れるのを聴いていたりすると、なんとなく大人な気分になれた。それから急にロック調になるのだがそれからのメロディーも覚えやすくて良かった。歌詞は心理学的な何やらムスカしいことを歌っているようだが、もちろん当時は意識などしない。ビリー・ジョエルがニューヨークのアーティストだということがその頃、すでに強調されていたかはよく覚えていないのだが、当時の日本人は全般的にアメリカに対する憧れが現在よりもひじょうに強く、そういった気分にもハマっていたような気もする。

当時はオリコンチャートの存在などまだ知らなくて、ヒットしているかどうかの指標といえばHBCラジオの「ベストテンほっかいどう」やSTVラジオの「北海道ヤングヒット10」、あるいはTBS系でこの年からはじまり、北海道ではHBCテレビで放送されていた「ザ・ベストテン」などであった。それらのランキングでは洋楽は除外されてい場合が多いのだが、「北海道ヤングヒット10」は確か今号で、ふきのとうとアース・ウィンド・アンド・ファイアーが同じチャートに入っていたりもしたような気がする。それで、ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」を確かに当時よく聴いたのだが、オリコン週間シングルランキングで2位にまで上っていたと知った時には驚いたものだ。

それにしても、日本でビリー・ジョエルは本当に人気があった。桑田佳祐が作詞作曲したサザンオールスターズの曲で、高田みづえがカバーしてヒットした「私はピアノ」の歌詞にも名前が入っていたし、竹の子族出身の竹宏治が清水宏次朗に変えて、というか本名にして最初のシングルのタイトルは「ビリー・ジョエルは似合わない」であった。こんなタイトルを一体、誰が恥ずかしげもなく付けたのかと思いきや、とんねるずやおニャン子クラブをブレイクさせる少し前の秋元康であった。かくいう私が生まれて初めて買った洋楽のアルバムも、ビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」であった。原題は「52nd Street」なのだが、邦題ではあえて「ニューヨーク」と付ける。そういうブランディングがされていたように思える。「ストレンジャー」の1つ前のアルバムなど原題が「Turnstiles」で回転ドアというような意味なのに、邦題は「ニューヨーク物語」である。

フュージョンやAORなどが流行っている時代で、レコード会社はたとえばボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルなどと同じ、都会的なシンガー・ソングライターの線で売ろうとしていたのかもしれないが、実際にそういった音楽をちゃんと聴いているコアな層からはあまり相手にされていなかったような気がする。クリストファー・クロスのデビュー・アルバムを世間に知られる前から聴いている、おそらく青山学院大学の女子学生が主人公の田中康夫「なんとなく、クリスタル」では、ビリー・ジョエルに「ニューヨークの松山千春」という註訳がつけられていた。

それで、この「ストレンジャー」なのだがヒットしたのは実は日本でだけという話もある。アメリカでは「素顔のままで」がシングル・チャートで3位と過去最大のヒットとなるのだが、この段階で日本に呼んで初来日公演を行ったのだという。4月23日の中野サンプラザで、開演はなんと午後2時である。その日は夜にスコーピオンズのライブで会場を押さえていたので、その日の昼に無理やりねじ込んだようなかたちだろうか。それにしても、当時のチケット料金が1,800円というのがすごい。アルバムを買うよりも安かったのである。

ライブで「ストレンジャー」の反応が良かったらしく、日本で独自にシングル・カットしようと打診したところ、あっさり承諾されたのだという。アメリカでは「素顔のままで」の次のシングルとして「ムーヴィン・アウト」がカットされていたのだが、日本では「ストレンジャー」のB面に収録された。それにしても、オリコン週間シングルランキングで2位というのは尋常ではないと思い、何か他に要因はなかったのだろうかと調べてみると、どうやらソニーのラジカセのCMに使われていたらしく、これが大きく影響した可能性が高いという。当時、テレビはわりとよく見ていたと思うのだが、このCMについては記憶がない。ZILBA-Pというシリーズで、当時としてはまだ画期的だったステレオラジカセであることが売りだったのだという。

実際にそのCMの映像を確認してもみたのだが、やはり当時、見た記憶がない。操上和美という著名な写真家によって撮られているらしく、どうやら富良野の出身だという。芝生の上に女性モデルのような人が花びらのようなものをくわえながら仰向けに寝ていて、そのバックでビリー・ジョエルの「ストレンジャー」、そのアップテンポな箇所が流れている。背景ではスプリンクラーが水を撒いていて、女性モデルのような人の体は濡れてもいる。そして、太腿がゆっくりとアップになり、低めの男性の声のナレーションで「裸足の島、南緯18度。サウンドシャワー、ステレオZILBAP、ソニー」と語らながら、最後はラジカセそのものとロゴなどが映る。このCMがきっかけで「ストレンジャー」があんなにも売れたのだろうか。

「ストレンジャー」のアルバムはオリコンで最高3位、年間では12位とやはりかなり売れたようだ。1ランク上には「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 音楽集」、逆に下にはかぐや姫「かぐや姫・今日」がランクインしている。「宇宙戦艦ヤマト」のこの映画は8月5日に公開され、私も旭川の映画館に夜に一人で見に行ったはずである。沢田研二が歌っていたエンディングテーマ「ヤマトより愛をこめて」もヒットした。

シングルの方の「ストレンジャー」は年間24位で、サザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」と世良公則&ツイスト「あんたのバラード」との間にランクインしている。翌年の春休みに留萌の祖父母の家に遊びにいき、叔母に喫茶店に連れていってもらった。有線放送で「ストレンジャー」が流れて、「この曲なんていうか知ってる?」と聞かれたので、ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」だと答えた。それから中学校に入学し、「ニューヨーク52番街」「グラス・ハウス」「ソングズ・イン・ジ・アティック」とビリー・ジョエルのアルバムを買っていったのだが、その次はやはり「ストレンジャー」だろうと思った。しかし、すでに知っている曲が入っている少し前のアルバムであり、普通に買うのはつまらないと思い、なぜかレコードではなくカセットテープで買った。叔母が旭川の家に遊びに来た時、夜に留萌まで車で帰るのにカーステレオで聴くカセットをなにか貸してといわれたので、「ストレンジャー」を渡したのだった。タイトルや曲名やレーベルのロゴなどが印刷されている紙の部分は、オレンジ色だったような気がする。