プリファブ・スプラウト「スティーヴ・マックイーン」について。

プリファブ・スプラウトの2作目のアルバム「スティーヴ・マックイーン」は1985年6月22日にリリースされたらしく、全英アルバム・チャートの最高位は21位であった。その週の1位はブライアン・フェリー「ボーイズ・アンド・ボーイズ」で2位がブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」、3位はダイアー・ストレイツ「ブラザーズ・イン・アームズ」で5位にはスクリッティ・ポリッティ「キューピッド&サイケ85」が初登場している。7位はマーク・ボラン&T・レックスのベストアルバム、9位にはザ・スタイル・カウンシル「アワ・フェイヴァリット・ショップ」がランクインしているというそんな時代である。

日本では6月15日にニューミュージックの葬式などといわれたりいわれなかったりしたという「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」ではっぴいえんどが一夜限りの復活、18日に豊田商事の会長が刺殺、19日には投資ジャーナルの会長が逮捕、24日には松田聖子と神田正輝の結婚式がテレビで中継されていた。その年の関東甲信越地方は6月8日に梅雨入り、私は東京都文京区千石にあった大橋荘というアパートの部屋の14インチテレビでをの様子を流しながら、机の下の引き出しを整理していたような気がする。その机は高校を卒業し、東京で一人暮らしをするに際して、父が当時、勤めていた会社の関係筋から手配してくれたような気がする。現在、あれから実に36年後にいまもその同じライティングデスクの上に置いたノートパソコンでこの文章を入力している。公開されるのは6月22日の予定だが、いまこの文章を入力しているのは6月20日、日曜日の父の日で、新型コロナウィルス感染拡大防止のためにしばらく帰れていない旭川の実家にはブルーベリーが届いているはずである。

それはまあ良いとして、当時、18歳で予備校生だった私は池袋のパルコにあったオンステージヤマノや西武百貨店にあったディスクポートで洋楽のレコードは買うことが多かった。特に覚えているのはプリンス&ザ・レヴォリューション「アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ」、ザ・スタイル・カウンシル「アワ・フェイヴァリット・ショップ」、エヴリシング・バット・ザ・ガール「ラヴ・ノット・マネー」、テリー・ホールがやっていたザ・カラーフィールドのアルバムなどだろうか。先に挙げたブライアン・フェリー「ボーイズ・アンド・ガールズ」やマーク・ボラン&T・レックスのベスト・アルバムなども買っていたはずである。

この後、7月5日にはおニャン子クラブ「セーラー服を脱がさないで」がリリースされ、13日には歴史的チャリティーライブイベント「ライヴエイド」が開催、生中継された。

という訳で、現役バリバリ、リアルタイムで聴くには絶好だった訳だが、なんと当時、私はプリファブ・スプラウトの「スティーヴ・マックイーン」を聴いていない。我が家には「ミュージック・マガジン」の80年代のクロス・レヴューを一冊にまとめた本というのがあるのだが、それでは1985年8月号で取り上げられていて、同じ号のユーリズミックス「ビー・ユアセルフ・トゥナイト」、ブライアン・フェリー「ボーイズ・アンド・ガールズ」、スクリッティ・ポリッティ「キューピッド&サイケ85」、スティング「ブルー・タートルの夢」、ザ・スタイル・カウンシル「アワ・フェイヴァリット・ショップ」は買っていたのに、プリファブ・スプラウト「スティーヴ・マックイーン」は買っていないだけではなく、聴いてすらいない。バンド名がプリファブ・スプラウトではなくプレファブ・スプラウトと書かれているので、当時はこのような表記だったのだろうか。

さて、ポップ・ミュージックがそこそこ好きな18歳にもかかわらず、どうして当時の私が「スティーヴ・マックイーン」を聴いていなかったのかというと、それはシングルがヒットしていなかったからではないかと推測できる。もちろんインターネットもスマートフォンも無い当時のことなので、新しい音楽の情報は雑誌とラジオから得ていた。ラジオで聴いたりテレビでビデオクリップ(現在ではいうところのミュージックビデオ)を視聴したりして曲が気に入り、さらに雑誌でレヴューやインタヴューを読んでなんとなく好きそうなら、これは買っても間違いないだろうという感じになる。ところが、「スティーヴ・マックイーン」からの先行シングル「ホエン・ラヴ・ブレイクス・ダウン」を当時、ラジオで聴いたりテレビで見たりした記憶がなく、そのため買おうという気にならなかったのではないかと思われる。「ホエン・ラヴ・ブレイクス・ダウン」は1984年の10月、おそらく私がU2「プライド」だとか松尾清憲「愛しのロージー」だとかに夢中になっていた頃にリリースされたものの、全英シングル・チャートでの最高位は89位で、旭川の公立高校生までは届かなかったと思われる。その後、1985年3月に再発された時にも、最高位は88位と1ランク上がっただけだったようだ。

その後、プリファブ・スプラウトの名前を音楽雑誌などでよく見かけたのだが、80年代後半には興味や関心がヒップホップやハウス・ミュージックの方に移行してしまい、聴く機会を逸し続けていたのであった。1988年に「キング・オブ・ロックンロール」という曲が全英シングル・チャートで最高7位のヒットを記録するのだが、これはなんだかノベルティーソングっぽい感じの曲であり、聴いたもののそれほど良いとは感じなかった。しかし、それからかなりの時を経た後に真夜中のDJイベントでかかっているのを聴いて、これはこれでとても良いのではないかと思い、それからは大好きである。

リアルタイムで聴くチャンスがあったにもかかわらず聴いていなかった私が「スティーヴ・マックイーン」のCDを買うのは00年代以降のことであり、銀座の数寄屋橋にあった阪急百貨店のHMVであった。バーゲンのコーナーをなんとなく見ていたところこのアルバムもあり、それほど興味がある訳でもないが、名盤リストなどでよく見かけることがあるし、1,000円ならばまあ良いかと思って買ったのであった。

これがとても良かった。まず、収録されている曲がいずれももれなく素晴らしい。歌詞やメロディーのクオリティーが普遍的なのだが、サウンド面ではいかにも80年代半ばあたりの西麻布のカフェバーにも似合いそうなフィーリングが感じられる。ちなみに、スクリッティ・ポリッティとかザ・スタイル・カウンシルとかシャーデーとか、この辺りの音楽はニュー・ウェイヴ的でもあるのだが、コンサヴァティヴなお洒落音楽としても消費されていて、それはそれで良いのだが、うまくカテゴライズするサブジャンル名が見当たらなくて弱ってもいた(実際にはそれほど弱ってはいないが)。それで数年前に、ソフィスティポップというサブジャンルが存在することを知り、まさにそれじゃん!と大いに盛り上がったのであった。

このアルバムの素晴らしさはプロデューサーのトーマス・ドルビーによるところが大きい、というようなことを中心メンバーのパディ・マクアルーンでさえもが言っているのだが、トーマス・ドルビーといえば個人的に「彼女はサイエンス」「ハイパーアクティヴ!」などのイメージであり、ソフィスティ・ポップとはそれほど結びつかなかったりはする。しかし、そう言われているのだからおそらくそうなのであろう。

リアルタイム世代であるにもかかわらすリアルタイムでは聴いていなく、かなり後になってから聴いて、確かにこれは素晴らしいし、当時の感覚を思い起こさせもするが、同時に普遍的でもあるという、ひじょうに独特なポジショニングの作品である。そして、聴けば聴くほどこれはとても良いアルバムだなと感じている次第だが、あたかもリアルタイムで聴いていて当時から大好きだったというような記憶の捏造だけはしないようにしていきたい。