ソニック・ユース「GOO」について。

ソニック・ユースの6作目のアルバム「GOO」がリリースされたのは1990年6月26日で、日本ではB’z「太陽のKomachi Angel」やJitterin’Jinn「にちようび」などがヒットしていた頃ということになる。

いまやオルタナティヴ・ロックを代表する名盤として評価が定着しているような印象があるこのアルバムであり、人気お笑いコンビのニューヨークがTシャツでジャケットをパロディー化したりもしている。当時のソニック・ユースといえば1988年のアルバム「デイドリーム・ネイション」が高く評価され、オルタナティヴ・ロックのジャンルではカリスマ視されていたような印象もあるのだが、個人的にこの頃はこういったタイプの音楽にまったく明るくはなく、音楽雑誌で記事を読むことはあっても聴いたことはまったくなかった。

「GOO」はソニック・ユースがメジャーレーベルと契約してから最初のアルバムであり、それは当時、商業的にも成功したと見なされていたような気がする。それでニルヴァーナもソニック・ユースと同じゲフィンと契約して、移籍後最初のアルバム「ネヴァーマインド」が大ヒット、オルタナティヴ・ロックのメインストリーム化につながっていったというのが、歴史上の事実である。

ところが当時の全米アルバム・チャートを見てみると、「GOO」の初登場時の順位は184位、最高位でも96位だったということが分かる。それでもこの時点ではソニック・ユースにとって最大のヒットであったことに違いはなく、あの大絶賛された「デイドリーム・ネイション」ですらチャート圏外だったようだ。これでも成功と見なされていたのであり、当時のオルタナティヴ・ロックとメインストリームとが商業的にいかに乖離していたかということを証明しているようでもある。オルタナティヴ・ロックでもR.E.M.はこの時点でシングル「ワン・アイ・ラヴ」「スタンド」やアルバム「ドキュメント」をトップ10入りさせていたわけだが。

それではこの頃、メインストリームではどのような音楽が売れていたかというと、M.C.ハマーやニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックだったということができる。音楽ジャーナリズムではヒップホップがアートフォームとして新しく、メッセージ性も強いポップ・ミュージックとして高く評価されていた印象がある。この時点でインディー・ロックやオルタナティヴ・ロックはそのジャンルのファンは熱心に聴いているものの、メインストリームにはなり得ない音楽というか、ロックという音楽そのものがすでに新しくはないものとされていたような気がする。私もすっかりそのようなムードに流されまくっていて、特に1987年にザ・スミスが解散してからは、ヒップホップやハウス・ミュージックなどを中心に聴くようになり、ロックのCDはあまり買わなくなってしまっていた(最も熱心に聴いていたのは岡村靖幸だが)。

それから、「GOO」が発売された1990年6月といえば6日にフリッパーズ・ギターの「カメラ・トーク」が発売されていて、これに強い衝撃を受けた上に、めちゃくちゃ良くてずっと聴いていた。フリッパーズ・ギターはネオアコのバンドであるようにも紹介されていたが、私にとっては「カメラ!カメラ!カメラ!」「ビッグ・バッド・ビンゴ」における打ち込み感覚などもひじょうに重要であり、トータル的に最新型のポップ・ミュージックとして楽しんでいたところがひじょうに大きい。あれをいわゆるインディー・ロックだとかネオ・アコースティックとして聴いてはいなくて、たとえばデ・ラ・ソウル「3フィート・ハイ&ライジング」や「カメラ・トーク」とわりと近い時期にリリースされたニューエスト・モデル「クロスブリード・パーク」に近い感覚で聴いていた。

それで、アメリカのアンダーグラウンドでノイジーなオルタナティヴ・ロックが盛り上がっていて、なかなか面白いことになっているというような記事を音楽雑誌で読んでいて、中でもソニック・ユースの「デイドリーム・ネイション」はとても優れたアルバムらしいという評判が伝わっていたとしても、所詮はロックに過ぎないのだろうと思い、あまり聴こうという気にはならなかった。

それでも、「GOO」がリリースされた後はさらに話題になり続けていて、91年になるとダイナソーJRの「グリーン・マインド」が発売されて、なんとなく買ってみようかと思い、聴いてみるとわりと良かったこともあって、このジャンルにも興味がわいていったのだった。それで、「GOO」からシングル・カットされた「ダーティ・ブーツ」のCDシングルを渋谷ロフトのWAVEで買ったのが最初だったような気がする。当時、デジパック仕様のシングルCDが結構好きで、わりと買っていたのだが、これも確かデジパックだったと思う。当時、住んでいた柴崎のワンルームマンションでCDを聴いたのだが、ひじょうにやさぐれた感じのノイジーなパンクロックなのだが、ポップ感覚もあってなかなか良いと思った。それで、「GOO」のアルバムも買ったのだった。

当時、パブリック・エナミーが大好きで、ヒップホップのみならずロック的な意味においても最もカッコいいアーティストだと思っていたのだが、「GOO」に収録されていてシングルでもリリースされていた「クール・シング」にはパブリック・エナミーからチャックDも参加していた。ソニック・ユースの中心メンバー、サーストン・ムーアとキム・ゴードンは夫婦でもあったのだが(2011年に離婚し、バンドも解散)、「クール・シング」はキム・ゴードンによって書かれた、当時のヒップホップにおける女性蔑視的な態度などを批判してもいる。はっきりと明言はされていないものの、これはキム・ゴードンがLLクールJに対して行ったインタヴューでの体験がモチーフになっているのではないかといわれている。キム・ゴードン自身はヒップホップを好んでいたが、ある面に対しては批判的だったようだ。こういった内容の楽曲にチャックDが参加しているというのが、またとても良い。

また、これもまたキム・ゴードンによって書かれた「テュニック」の原題には「ソング・フォー・カレン」というサブタイトルが付いているのだが、このカレンというのは、70年代にヒット曲を連発し、日本のポップスファンにもひじょうに人気が高い兄妹デュオ、カーペンターズのカレン・カーペンターである。摂食障害によって32歳の若さで亡くなったカレン・カーペンターだが、そのきっかけとなったのは体型に対するコンプレックスであった。この曲はカレン・カーペンターに捧げた曲であると同時に、ルッキズム(外見にもとずく差別)を批判していることによって、今日においても有効なメッセージソングとして機能している。

「GOO」においてソニック・ユースの音楽はそれまでと比べ、分かりやすくなっていることは事実で、それが新しいリスナーにもアピールした可能性はひじょうに高い。この成功がニルヴァーナのブレイクにも繋がっていったとされていることを考えると、ポップ・ミュージック史上ひじょうに重要な作品だともいえるような気がする。そして、そういった歴史的な文脈を抜きにしても、純粋にカッコいいアルバムであることに間違いはない。

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