レディオヘッド「クリープ」について。

1993年9月18日付の全英シングル・チャートで1位だったのはカルチャー・ビート「ミスター・ヴェイン」、最も高い順位で初登場したのはペット・ショップ・ボーイズによるヴィレッジ・ピープル「ゴー・ウェスト」のカバーで2位にランクインしていた。その次が7位に初登場したレディオヘッド「クリープ」である。

このシングルは約1年前にあたる1992年9月にリリースされていたが、この時には全英シングル・チャートにランクインしなかった。レディオヘッドのデビュー・シングルではあるが初めてのリリースではなく、これ以前に「ドリル」EPがリリースされていた。これも全英シングル・チャートにはランクインしていない。

しかし、「クリープ」は当時のイギリスのインディー・ロックファンによく読まれていた「NME」「メロディー・メイカー」などには取り上げられていた。ちなみにインディーというのはメジャーレーベルではない、独立したレーベルのことを元々は指していたのだが、いつしかメジャーレーベルからリリースされていようが、ある特徴を持つ音楽を指すサブジャンル名として定着した。

たとえばレディオヘッドの音楽はインディー・ロックとされている印象がひじょうに強いわけだが、高校時代にオン・ア・フライデイというバンド名(金曜日にリハーサルを行っていたことがその由来だという)で活動していた頃からアイランド・レコーズのオファーを受けてそれは断り、後にEMI傘下のパーロフォンとアルバム6枚の契約を結んでいる。バンド名をレディオヘッドに変えたのはレーベルの要請によってであり、トーキング・ヘッズのアルバム「トゥルー・ストーリーズ」に収録された「ラジオ・ヘッド」という曲のタイトルが由来になっている。

確か「NME」に掲載された記事を読んでだったと思うのだが、私は当時、西新宿にあったラフ・トレード・ショップで「クリープ」のレコードを買った。当時はインターネットはまだ普及していないので、事前に聴いたことがない状態でレコードを買うことも少なくはなかったが、当たりもあれば外れもある。そして、自宅のステレオで聴いてみて、「クリープ」は大当たりだと感じたのだった。

まずゆっくりとした静かな感じではじまり、モテない男の苦悩とでもいうようないかにもインディー・ロックらしいテーマが歌われているのだが、やがてその静けさをつんざくようなギターのフレーズがあり、一気にサウンドが大きめになっていく。この前の年の秋にリリースされたニルヴァーナ「ネヴァーマインド」が大ヒットして、世はグランジ・ロックのブームだったわけだが、ニルヴァーナの音楽性の特徴で、ピクシーズにインスパイアされていたというラウド・クワイエット・ラウド、つまり静けさと騒々しさが交互にくる手法を、「クリープ」もまた用いていた。そして、相変わらず自虐的なことが歌われているのだが、ファルセットで歌われるメロディーは美しく、ある種のカタルシスすら感じさせるのであった。そして、実際にトム・ヨークが片想いをしていた女性に対する感情をテーマにしたというこの曲の内容は、インディー・ロックを好んで聴くタイプの人々から共感を得やすいものだったともいえる。

当時、この曲は全英シングル・チャートにランクインすらしなかったのだが、一部では評価もされていて、「NME」はこの年の年間ベスト・シングルで「クリープ」をスウェード「ザ・ドラウナーズ」、PJハーヴェイ「シーラ・ナ・ギグ」、マニック・ストリート・プリーチャーズ「享楽都市の孤独」に続く4位に選んでいた。

翌年、レディオヘッドは2月にシングル「エニワン・プレイ・ギター」とアルバム「パブロ・ハニー」をリリースし、そこそこ高評価を得ていた。「パブロ・ハニー」の全英アルバム・チャートでの最高位は22位だったが、こういったタイプのバンドのデビュー・アルバムとしては好調のように思えた。イギリスのインディー・ロック系メディアの話題はスウェードに集まっていて、「パブロ・ハニー」と同じ2月22日に発売されたシングル「アニマル・ナイトレイト」が最高7位で初のトップ10入り、翌月の3月29日に発売されたデビュー・アルバムは初登場1位、当時、イギリスで最も速く売れたデビュー・アルバムの記録を更新した。

レディオヘッドはそれまでとはやや毛色が違ったタイプのシングル「ポップ・イズ・デッド」をリリースし、全英シングル・チャートで最高49位を記録しているのだが、この曲はその後、ボーナストラック的な扱いを除いてアルバムにも収録されていなく、無かったことにされているような印象を受けなくもない。

その間に「クリープ」はイスラエルのラジオでよくかかっているうちにヒットして、プロモーションで訪れたメンバーは熱烈な歓迎を受けたという。また、アメリカのカレッジ・ラジオでも「クリープ」は人気が出て、これがきっかけでオルタナティヴ・エアプレイ・チャートで2位、全米シングル・チャートでも最高34位とかろうじてトップ40入りを果たした。

この勢いが本国のイギリスにも波及し、再リリースしたところ、7位に初登場したのであった。この曲があまりにも有名になってしまったことと、いかにもインディー・ロック的な自己憐憫的な内容であることもあってか、メンバーは次第にうんざりしはじめる。ギタリストのジョニー・グリーンウッドは初めからこの曲が好きではなかったらしく、途中のあの印象的なフレーズもこの曲をぶち壊して入れたつもりが、逆に曲の魅力を高める結果になったのだという。

レコーディングのためのセッション時にトム・ヨークは「クリープ」のことを「スコット・ウォーカー・ソング」と呼んでいたため、プロデューサーはこれをスコット・ウォーカーの隠れた名曲だと思っていたらしい。実際には紛れもないレディオヘッドのオリジナルだったわけだが、ホリーズが1974年にヒットさせた「安らぎの世界へ」に似ているのではないかともいわれはじめ、この曲の作者であるアルバート・ハモンドとマイク・ヘイゼルウッドも「クリープ」の共作者としてクレジットされることにばった。

アルバート・ハモンドは日本でも「カリフォルニアの青い空」で知られていて、息子はザ・ストロークスのアルバート・ハモンドJr.である。みうらじゅんが大島渚という名前のバンドで「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演した時の演奏曲は、「カリフォルニアの青いバカ」であった。

1990年代にヒットした「クリープ」といえば、インディー・ロック好きならばレディオヘッドのこの曲を、それ以外であればTLCの同名異曲を思い出す場合が多いのではないかと思う。しかし、レディオヘッドのメンバーと同年代ぐらいの日本人ならば、「クリープ」と聞いて森永乳業から発売されているコーヒーに入れるミルクのような粉末を想像するのではないだろうか。「クリープを入れないコーヒーなんて…」というフレーズはかなり流行っていた記憶がある。この森永クリープは現在も発売されているロングセラーなのだが、最近では日本のロックバンド、クリープハイプとコラボレーションしている。レディオヘッドやTLCの「クリープ」は「Creep」と綴り、ネガティヴな意味を持つが、森永クリープの綴りは「Creap」で、クリームとパウダーを組み合わせた造語ではないかと思われる。クリープハイプは英語だと「CreepHyp」と表記するようだが、バンド名に特に深い意味はないらしい。

「クリープ」という単語にはキモい奴とでもいうようなニュアンスがあるのではないかと思うのだが、自分自身をそれに当てはめて、憧れの女性を必要以上に美化して崇めたてまつる、それが「You’re so fuckin’ special」というフレーズにもあらわれている。しかし、さすがに「fuckin’」をラジオでは流せないということで、ラジオ用に「very」と歌い替えたバージョンもある。