松田聖子「風立ちぬ」について。

松田聖子の4作目のアルバム「風立ちぬ」が発売されたのは、1981年10月21日であった。「裸足の季節」でレコードデビューしたのが1980年4月1日なので、約1年半の間に4作のアルバムをリリースしたことになる。

このアルバムの特徴は、この年にアルバム「A LONG VACATION」が大ヒットした大滝詠一が多くの楽曲において作曲・編曲を手がけていることである。具体的には先行シングルで表題曲でもある「風立ちぬ」を含むA面収録曲のすべてである。しかも、その5曲がそれぞれ「A LONG VACATION」収録曲と対になっていて、「冬の妖精」が「君は天然色」、「ガラスの入江」が「雨のウェンズデイ」、「一千一秒物語」が「恋するカレン」、「いちご畑でつかまえて」が「FUNx4」、「風立ちぬ」が「カナリア諸島にて」とよく似たテイストの楽曲となっている。

また、「風立ちぬ」のアルバムと同じ日に大滝詠一は佐野元春、杉真理とのナイアガラ・トライアングルで「A面で恋をして」をリリースし、オリコン週間シングルランキングで最高14位を記録しているのだが、翌年の3月21日、つまり「A LONG VACATION」からちょうど1年後に発売されたアルバム「ナイアガラ・トライアングルVol.2」に収録された大滝詠一の曲はすべて、「風立ちぬ」収録曲のB面をつくるつもりで書かれたのだという。

具体的には「A面で恋をして」が「冬の妖精」、「オリーブの午后」が「風立ちぬ」「Water Color」が「ガラスの入江」、「白い港」が「一千一秒物語」、「ハートじかけのオレンジ」が「いちご畑でつかまえて」といった具合である。

また、「風立ちぬ」のB面に収録された5曲のうち、先行シングルの「白いパラソル」以外、全曲の編曲を手がけている。そして、このアルバムに収録された曲のすべての歌詞が松本隆によって書かれている。鈴木茂は「黄昏はオレンジ・ライム」では作曲も行い、「白いパラソル」以外のすべての楽曲でギターを弾いてもいる。つまり、このアルバムには元はっぴいえんどのメンバー4人中3人が携わっているということになる。唯一このアルバムに参加していない元はっぴいえんどのメンバーといえば細野晴臣だが、後に松田聖子の楽曲にもかかわっていくことになる。

そして、ナイアガラ・トライアングルのメンバーとしては、「雨のリゾート」が杉真理の作曲である。もう1人のナイアガラ・トライアングル、佐野元春は後にHolland Roseのペンネームで「ハートのイアリング」を提供することになる。余談だがこのHolland Roseというペンネームは、佐野元春のラジオ番組にホール&オーツの曲をリクエストした際にアーティスト名を誤って「ホーランド・ローズ」と書いていたことに由来する。「オランダの薔薇」というイメージが気に入った佐野元春は、これをペンネームとして採用したのだという。また、モータウンの素晴らしいソングライターチーム、ホーランド=ロジャー=ホーランドを連想させるところもポイントだったといっていたような気もするが、記憶が定かではない。

松田聖子はアイドル歌手ではあったのだが、ボーカルに魅力があったのと楽曲のクオリティーが高かったため、その作品は一般的な音楽ファンからもわりと評価されていたような気がする。たとえば、松任谷由実、山下達郎、サザンオールスターズなどのアルバムと同じような用途で、大学生のカーステレオでもよくかかっていたという話は聞いたことがある。つまり、アイドル歌手のレコードではあったのだが、ニューミュージックやシティ・ポップと同じような聴かれ方もされていたということである。

また、同じ年にレコードデビューして大人気だった田原俊彦とチョコレートのCMで共演したことから、嫉妬したファンが松田聖子にカミソリ入りの封筒が送りつけられるということもあったような気がする。その後、松田聖子はテレビ番組で感動して泣くことがあっても涙が出ていないからあれはウソ泣きであり、かわい子ぶっているだけだということをいわれたり、かわい子ぶりっ子であったりそれをさらに短縮したブリッコという言葉が一般大衆に流通するきっかけになったように思える。当時は漫才ブームでもあったのだが、春やすこ・けいこのネタには必ずといっていいほど、かわい子ぶりっ子である松田聖子の悪口が含まれていたような気がする。つまり、いわゆる「女に嫌われる女」の典型例のような感じだったのである。

しかし、時が経つにつれ、松田聖子にも女性ファンが増えはじめているという話も出てきた。たとえば、当時の松田聖子の髪型を真似た「聖子ちゃんカット」の流行などである。「風立ちぬ」のアルバムが発売された週の土曜日、私は旭川のミュージックショップ国原に行ったのだが、制服を着た大人しそうな女子がこのアルバムを買っているのを見て、それを実感したりもしていた。

「A LONG VACATION」は当初、大滝詠一の誕生日である1980年7月28日に発売される予定だったという。松田聖子の2作目のシングル「青い珊瑚礁」がヒットした夏である。ところが、松本隆が妹の病と死によって、歌詞がまったく書けなくなってしまった。松本隆は大滝詠一に「A LONG VACATION」の作詞を降りることを提案するが、大滝詠一はこのアルバムの歌詞は松本隆でなければ意味がなく、いつまでも待つと伝えたといわれている。その結果、翌年の3月21日に「A LONG VACATION」は発売された。

この時点で松田聖子は「青い珊瑚礁」に続いて、「風は秋色/Eighteen」「チェリーブラッサム」もヒットさせ、まもなく新曲の「夏の扉」がリリースされる予定になっていた。ここまですべてのシングル曲を作詞していたのは、三浦徳子である。しかし、松本隆は自分こそが松田聖子に相応しい歌詞を書けるはずだ、と思っていたのだという。アルバム「Silhouette」に「白い貝のブローチ」を提供した後、ついに「白いパラソル」で初めて松田聖子のシングル曲を手がけることになった。

「白いパラソル」には「風を切るディンギーで さらってもいいのよ」という歌詞がある。ディンギーとは小型ヨットのようなもののことらしいのだが、当時も現在も一般的な日本人にはあまり馴染みがないのではないかと思われる。そして、このディンギーなのだが、やはり松本隆が作詞した大滝詠一「君は天然色」にも「渚を滑るディンギーで」という具合に登場していたのであった。

そして、次のシングルとなった「風立ちぬ」の歌詞もまた松本隆が書くことになったのだが、「首に巻く赤いバンダナ もう泣くなよと あなたがくれた」というフレーズがある。そして、ほぼ同時期にヒットしていた近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」に「赤い皮ジャン引き寄せ 恋のバンダナ渡すよ」という歌詞があるのだが、作詞は松本隆ではなく伊達歩である。おそらくただの偶然だとは思うのだが、当時、一部の女子が話題にしていたような気がする。

それはそうとして、松田聖子はデビュー時のボーカルが声に伸びがあって圧倒的に素晴らしいのだが、この頃になるともうそのような歌い方はしていない。その分、表現力が高まっているように思われる。「風立ちぬ」のレコーディングにおいて、大滝詠一の指導はひじょうに厳しいものだったらしく、松田聖子は行くのが嫌になったりもしていたという。しかし、結果的にひじょうに素晴らしい作品が出来上がったのであった。

大滝詠一もそれだけ作品に入れ込んでいたということでもあり、ニューミュージックやシティ・ポップのアーティストが気軽にアイドルにも楽曲を提供してみました、という感じではまったくなかったのであろう。大滝詠一の音楽というのは、そもそもオールディーズなどの影響を受けたマニアックなものであり、それほど一般大衆的に受けまくるものではなかったはずなのだが、「A LONG VACATION」はあれだけの大ヒットとなった。それでは、この感じで松田聖子のようなメインストリームでヒット曲を次々と出し続けているアイドル歌手に楽曲を提供した場合どうなるのだろうか、というような実験的な要素もあったのだろうか。このアルバムのA面は「裏ロング・バケイション」といっても良いようなものであり、アイドル歌謡にそれほど興味がないポップスファンにも楽しめるものになっているのではないか。

B面には財津和夫、鈴木茂、杉真理によって提供された曲が収録されているのだが、こちらはそれまでの音楽性の延長線上ともいえるポップでキャッチーな感じでまたとても良い。

「いちご畑でつかまえて」と「FUNx4」をマッシュアップした「いちご畑でFUNx4」という音源があり、ずっと未発表だったのだが、2020年にリリースされた松田聖子の53枚目のオリジナルアルバム「SEIKO MATSUDA 2020」に収録された。この曲はインターネットで配信がされていないため、聴くためにはCDを買わなければならない。「いちご畑でつかまえて」には松田聖子のかわいいくしゃみも収録されているので、これもまた聴きものである。この曲のタイトルからはビートルズ「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」やJ.D.サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」が連想されてとても良い。一旦、曲が終わったかのように見せかけて、実は終わっていなかったという仕掛けもおもしろい。

「白いパラソル」といえば当時、通っていた中学校でクラス対抗の演芸大会のようなものがあり、それにお調子者の男子と3人組で出て、女子から借りたセーラー服を着てこの曲を歌った記憶がある。スカートを履くのはそれが初めてであり、女子はいつもこんなに下がスースーした状態で生活をしているのか、と驚かされたものである。

2021年には大滝詠一の楽曲が配信解禁と「A LONG VACATION」発売40周年で盛り上がり、翌年には「ナイアガラ・トライアングルVol.2」の発売40周年記念ボックス的なものもリリースされるようである。その間にやはり発売40周年を迎えた「風立ちぬ」を聴いておくと、楽しみがさらに増すような気もする。