ペット・ショップ・ボーイズ「ビヘイヴィアー:薔薇の旋律」について。

ペット・ショップ・ボーイズの4作目のアルバム「ビヘイヴィアー:薔薇の旋律」は1990年10月22日に発売された。ハッピー・マンデーズ「ピルズン・スリルズ・アンド・ベリーエイクス」や岡村靖幸「家庭教師」などと同じ秋のことである。

80年代半ばに「ウエスト・エンド・ガールズ」を大ヒットさせ、ニール・テナントとクリス・ロウの2人組ユニット、ペット・ショップ・ボーイズは一気にブレイクした。それ以降、シンセ・ポップやダンス・ミュージックのフォーマットで、知的でウィットに富んだヒット曲を次々と生み出していった。特にイギリスでは1986年の「サバービア」以降、すべてのシングルがトップ10入りし、そのうちの3曲(「哀しみの天使」「とどかぬ想い」「ハート」)は1位に輝いていた。

1990年のイギリスといえば、マッドチェスター・ムーヴメントにまだ勢いがあった頃である。そんな最中にリリースされた「ビヘイヴィアー:薔薇の旋律」からの先行シングル「ソー・ハード」は全英シングル・チャートで最高4位を記録した。オーケストラル・ヒットも効果的に用いられたダンス・ポップであり、ペット・ショップ・ボーイズのそれまでの楽曲の延長線上にあるように思えた。お互いに浮気をやめられると良いのだが、それはとても難しい、というようなことが歌われている。

そして、「ビヘイヴィアー:薔薇の旋律」は全英アルバム・チャートで最高2位を記録した。「哀しみの天使」「イントロスペクティヴ」に続き、3作連続の最高2位である。デビュー・アルバム「ウエスト・エンド・ガールズ」は最高3位であった。ペエット・ショップ・ボーイズの全英アルバム・チャートで初の1位を阻んだのは、ポール・サイモン「リズム・オブ・ザ・セインツ」であった。

ペット・ショップ・ボーイズは「ビヘイヴィアー:薔薇の旋律」から次に「ビーイング・ボアリング」をシングル・カットするのだが、全英シングル・チャートでの最高位は20位であった。1986年以来、初めてトップ10入りを逃がしたことになる。しかし、この曲はJ-WAVEの「TOKIO HOT 100」では4位まで上がっていた。その週のトップ3はスティング「オール・ディス・タイム」、C+Cミュージック・ファクトリー「エヴリバディ・ダンス・ナウ!」、スティービーB「ビコーズ・アイ・ラブ・ユー」であった。

ニール・テナントのボーカルは特徴的なので、ペット・ショップ・ボーイズの曲だということはすぐに分かったのだが、いつになく哀愁味が増しているように感じられた。そして、「TOKIO HOT 100」で何度か聴いているうちにどうやらこの曲がとても好きらしいということに気がつき、収録しているアルバム「ビヘイヴィアー:薔薇の旋律」のCDを買った。

「ビーイング・ボアリング」は1曲目に収録されていて、聴けば聴くほどどんどん好きになっていった。アルバム全体は、それまでのペット・ショップ・ボーイズの作品と比較してイケイケな感じが後退し、しっとりとメランコリックに感じられた。そして、これはちょっと地味なのではないかと思い、「ビーイング・ボアリング」以外はあまり聴かなかった。翌年にベスト・アルバム「ディスコグラフィー-ザ・コンプリート・シングルス・コレクション」が発売され、これにも「ビーイング・ボアリング」は収録されていた。アルバム・バージョンと比べるとイントロが短く、他にももしかすると違っているところがあるのかもしれない。他のヒット曲もすべて収録されていて、やっぱりペット・ショップ・ボーイズはシングルなのではないかと感じていた。

その印象は25年以上もずっと続いていて、「ビヘイヴィアー:薔薇の旋律」を通して聴くことは、記憶している限り一度もなかった。数年前、ふとした気まぐれで久しぶりに聴いてみたのだが、実はとても良いアルバムだったことが分かった。当時、ちゃんと聴いていなかったというよりは、このアルバムが良いと思えるには音楽リスナーやそれ以前に人としての経験値が足りていなかったのかもしれない。たまたまではないかと思い、その後も何度か聴いてみたのだが、やはりこのアルバムは素晴らしいという思いはその度に深くなっている。そして、秋に聴くのが良いのではないかと思える。

「ビーイング・ボアリング」はやはり名曲であり、これは若かりし頃に抱いていた夢とその成れの果てとを比較したような曲でもあるのだが、きっかけになったのはニール・テナントの古くからの友人の死だったのだという。タイトルは「華麗なるギャツビー」で知られるアメリカの小説家、F・スコット・フィッツジェラルドの妻であったゼルダの引用であることも、華やかで輝きに満ちていたものがやがて色褪せていくことの象徴であるように思われたりもする。ファッション・フォトグラファーのブルース・ウェーバーが撮影しモノクロのミュージックビデオもこの曲の雰囲気に合っていて素晴らしい。この曲は当時から大好きで、長年ずっと聴いているのだが、より大人になってからの方がその意味の濃さを実感できるような気がする。

このアルバムを最初に聴いた時に、それまでのイケイケ感が後退し、しっとりとメランコリックであるように感じた、ということを先ほども書いたのだが、その原因はアナログシンセサイザーを用いていることにあるのかもしれない。ペット・ショップ・ボーイズは自分たちのそれまでのサウンドに満足できなくなっていたらしく、ドイツの音楽プロデューサー、ハロルド・フォルターメイヤーに連絡を取ったのだという。ジョルジオ・モロダーの元で音楽制作にかかわるり、数々の映画サウンドトラックなども手がけていた人である。レコーディングはドイツのミュンヘンで行われたという。

シンセ・ポップではあるのだが、サウンドに温かみが感じられ、美しいメロディーも際立っているように感じられる。「シリアスリー」はトランスヴィジョン・ヴァンプのマンディ・スミスをモデルにしているという話があったりもするが、当時、流行していたニュー・ジャック・スウィング的なリズムの導入が印象的である。「10月のシンフォニー」はソビエト連邦の崩壊をテーマにしていて、ジョニー・マーのギターがフィーチャーされている。

アルバムの最後に収録され、シングル・カットもされた「ジェラシー」はタイトルの通り、嫉妬という感情の強さについて、さり気なくも切実に歌い上げた名曲で、本来ならばやり過ぎなようにも感じられる後半のオーケストラ的なアレンジも感動的ですらある。実はこの曲はかなり以前から温めていたのだが、エンニオ・モリコーネにオーケストラ・アレンジをしてもらえるまで待とうとしていたのだという。オファーはしていたものの返事は来なく、ハロルド・フォルターメイヤーが完成させたようだ。

アルバム全体を通して聴くとひじょうに満足感があり、改めて素晴らしいポップ・アルバムだと再認識させられるのだが、リリース時になぜこの良さに気づかなかったのだろうかと不思議でもある。やはりリスナーや人としての経験値が足りていなかったのだろうか。

このアルバムがリリースされた頃の日本では、バブル景気がもうじき終わりかけようとしていたのだが、大半の国民はそれにも気づかず、はしゃいでいたような気がする。まるで青春を謳歌する若者たちのように。そのような時代を経たからこそのリアリティーというのも、確かに少しはあるのかもしれない。とにかく、とても良いアルバムであり、聴くならば秋がベストではないかと思うのである。