ザ・ジャム「サウンド・アフェクツ」について。

ザ・ジャムの5作目のアルバム「サウンド・アフェクツ」がリリースされたのは1980年11月28日だということなので、発売40周年になる。1980年といえば私が中学2年生らしくモテようとして洋楽のレコードを買いはじめた年だが、全米ヒット・チャートものや日本でヒットしている洋楽しかまだ聴いていなく、イギリスでは国民的人気バンドだったもののアメリカではほとんど売れていなかったザ・ジャムのことはまったく知らなかった。ちなみに、このアルバムがリリースされた週の全米シングル・チャートではケニー・ロジャース「レイディー」、全英シングル・チャートではABBA「スーパー・トゥルーパー」、オリコン週間シングルランキングではノーランズ「ダンシング・シスター」が1位であった。

私はザ・スタイル・カウンシルが好きになってから、その中心人物であるポール・ウェラーが以前にやっていたバンドということでザ・ジャムも聴きはじめるという、まったく真剣さに欠けるタイプの音楽ファンだったのだが、そのザ・ジャムにしても大学に入学してからすぐに買った2枚組ベスト・アルバム「スナップ!」だけで満足しているような状態であった。音楽スタイルにかかわらず、ポール・ウェラーのソングライティングやボーカルはなんとなく体質に合うな、などと感じていた。

「サウンド・アフェクツ」のCDをリリースから約13年後に買ったきっかけは、「NME」が「1980年代のアルバム・ベスト50」で、ザ・ストーン・ローゼズ「ザ・ストーン・ローゼズ」、ザ・スミス「クイーン・イズ・デッド」、デ・ラ・ソウル「3フィート・ハイ・アンド・ライジング」、プリンス「サイン・オブ・ザ・タイムス」、パブリック・エナミー「パブリック・エナミーⅡ」、ジーザス&メリー・チェイン「サイコ・キャンディ」、ザ・スミス「ハットフル・オブ・ホロウ」、ジョイ・ディヴィジョン「クローサー」に続く第9位にこのアルバムを選んでいたことであった。買ったのは確か、渋谷のFRISCOだったと思う。

ザ・ジャムについてはシングルはとても良いのだがアルバムはそうでもないというような印象をなんとなく持ってもいたのだが、その後でいろいろ聴いて、かなり良いものの方が多いのではないかと思ったりもした。それでも、最も好きなのはやはりベスト・アルバムの「スナップ!」である。

それはそうとして、この「サウンド・アフェクツ」はかなり良かった。タイトルは効果音を意味する「サウンド・エフェクツ」、「S.E.」などと略したりもするそれと、影響や作用を意味する「アフェクツ」とをかけたものだろうか。コラージュ風のアルバムジャケットも印象的だが、これはBBCから出ていた「サウンド・エフェクツ」、つまり効果音のレコードジャケットをパロディー化したものだという。実際にGoogleで「bbc sound effects」などで画像検索すると、これとよく似た画像が表示されたりもする。イギリス人にはわりとピンとくるのだろうか。

1曲目の「プリティ・グリーン」はポップでキャッチーなとても良い曲で、レーベルは当初、これを先行シングルとしてリリースする予定だったのだという。タイトルで歌詞にも出てくる「プリティ・グリーン」はイギリスのポンド紙幣のことであり、「フルーツ・マシン」はスロットマシンのイギリス流の呼び方らしい。ポンド紙幣の印刷が緑色で、スロットマシンには果物が描かれているからだろうか。

どこかサイケデリックなムードも感じられ、1960年代半ばあたりのブリティッシュ・ポップを思わせたりもする。ポール・ウェラーはこのアルバムについて、ビートルズ「リボルバー」とマイケル・ジャクソン「オフ・ザ・ウォール」に影響を受けた、などと言っているようである。レーベルの意向に反してポール・ウェラーが先行シングルにと強く主張し、見事に全英シングル・チャートで1位に輝いた「スタート!」などはビートルズ「リボルバー」の1曲目に収録された「タックスマン」にひじょうによく似ている。また、「ザッツ・エンターテインメント」の後に収録されたテープを逆回転させたような音は、やはり「リボルバー」の最後に収録された「トゥモロー・ネバー・ノウズ」を思わせなくもない。

マイケル・ジャクソンの「オフ・ザ・ウォール」は「サウンド・アフェクツ」の前の年、1979年にリリースされ、「今夜はドント・ストップ」「ロック・ウィズ・ユー」などのヒットを生んでもいた。クインシー・ジョーンズのプロデュースによるこのアルバムは、当時のディスコ・ブームに対応したようでありながらも、最新型のポップ・ミュージックと見なされてもいたのだろう。

「サウンド・アフェクツ」の一体どのあたりが「オフ・ザ・ウォール」から影響を受けているのだろうということを、具体的に指摘することはなかなか難しいとも思えるのだが、要は得意のジャンルということではなく、その時点におけるポップ・ミュージックとしての強度にこだわっていたのだろう、ということはなんとなく分かるような気がする。アークティック・モンキーズがドクター・ドレーなどのヒップホップから受けている影響に、近いものがあるようにも思える。

時代背景的に当時の最先端のサウンドといえば、オルタナティヴ的にはポスト・パンク/ニュー・ウェイヴでもあったとは思うのだが、たとえば「ミュージック・フォー・ザ・ラスト・カップル」などには、ギャング・オブ・フォーやXTCあたりにも通じるところがあるように思える。

それでいて、歌詞やメロディーに60年代あたりのブリティッシュ・ポップを継承するようなオーセンティックさもあり、特にポール・ウェラーの最高傑作ではないかといわれることもある「ザッツ・エンターテインメント」などはそれの極みであろう。特に派手なところのないイギリスの日常的な風景をヴィヴィッドかつユニークに表現したあと、サビで「ザッツ・エンターテインメント」と歌うこのユーモアとペーソスが入り混じった感じがたまらなく良い。

それは、街角の小さな商店の店主と工場長とのやり取りをベースにした、「マン・イン・ザ・コーナー・ショップ」にもいえることである。

10代の怒れる若者、ポール・ウェラーを中心とした3ピース・バンドとしてスタートしたザ・ジャムは初期において、わりと直情的なパンク・ロックのような音楽をやってもいたのだが、次第に音楽性の幅を広げ、この「サウンド・アフェクツ」あたりまではまだ他のバンドメンバーも対応できていたように思える。評価も高く、売れてもいるというバンドとしてひじょうに理想的な状態だったのではないだろうか。

その後もポップ・ミュージックとしての強度を高める方向にバンドは向かっていくのだが、次のアルバムとなる「ギフト」でポール・ウェラーはこのバンドでできることの限界を悟り、人気絶頂にもかかわらずザ・ジャムを解散、ミック・タルボットらとザ・スタイル・カウンシルを結成することによって、さらなる音楽的探究を続けていくのだった。