ザ・ポーグス「ニューヨークの夢」について。

ザ・ポーグスの「ニューヨークの夢 (Fairytale of New York)」がリリースされたのは1987年11月23日だが、この曲は21世紀になってからのイギリスのラジオで最もオンエアされたクリスマス・ソングとされているようだ。初めてリリースされた1987年には全英シングル・チャートで最高2位を記録し、この時の1位はペット・ショップ・ボーイズ「オールウェイス・オン・マイ・マインド」だった。1991年に再発された時には最高36位を記録、2005年以降は毎週ランクインして、常に20位以内に入り続けているようだ。ちなみに2020年の最高位は、3年連続で4位であった。

クリスマス・ソングといえばハッピーで祝祭のムードに満ち溢れているイメージがあるが、この曲はけしてそうではない。年を取った男が酔っぱらって警察に連行され、そこで夢に溢れていた若かりし日を思い出すという内容である。曲の中に妻との掛け合いになる場面があるが、ここでもけして上品ではない言葉が使われていて、このために一部の放送局ではその部分が聴こえないようにしたり、テレビでのパフォーマンス時には単語を替えさせたりもしている。とはいえ、歌詞を書いたシェイン・マガウアンも言っているように、このリアルな感じこそが楽曲の魅力であり、支持され続けている要因であるようにも思える。

さて、この曲は実際にリリースされた2年前、1985年に書きはじめられたのだという。当時、ザ・ポーグスをプロデュースしていたのはエルヴィス・コステロ、このバンドはけしてクリスマス・ソングをヒットさせることなどできないだろうというような挑発的なことを言ったとか言っていないとかされているようだが、いずれにせよバンドでバンジョーなどを演奏していたジェム・フェイナーはクリスマス・ソングをつくりはじめた。

さて、いまジェム・フェイナーの担当楽器をバンジョーなどと書いたわけだが、ザ・ポーグスはロック・バンドといってもよくあるドラムス、ベース、ギター、ボーカルといった編成ではなく、パンク・ロックにケルト音楽の要素を取り入れたユニークな音楽性に相応しく、様々な楽器を用いていたのだ。

フロントマンのシェイン・マガウアンはしわがれた特徴のあるボーカルと酔いどれキャラで知られているが、デビューする前の1976年、ザ・クラッシュのライブ会場で他の客に耳を噛まれ、流血しながら笑っている写真が新聞に掲載されたりもしていたという。酔いどれが主人公のこの曲は、そんなシェイン・マガウアンのキャラクターにもハマっていたといえる。

ジェム・フェイナーが当初、書いていた歌詞の内容はもっと違ったものだったのだが、妻からのアドバイスもあって男女のデュエットものに書き変えたらしい。そうして渡された2パターンの楽曲を、シェイン・マガウアンが完成させたのだという。完成した歌詞の大半は、シェイン・マガウアンが病気療養中のベッドで書き上げたようだ。「ニューヨークの夢」のタイトルは、当時、ジェム・フェイナーが読んでいた小説から、シェイン・マガウアンが付けた。この年のクリスマスシーズンにリリースしたいところだったが、それには間に合わず、翌年のEPに収録しようということになった。実際にリリースはされたのだが「ニューヨークの夢」は収録されなかった「ポーググトリー・イン・モーション」というEPのためのセッションでは、ベーシストのケイト・オーリアダンが女性パートを歌った。この曲のレコーディングは何度か行われたものの、満足のいく成果は得られず、リリースは見送られることになった。

その後、ザ・ポーグスは初めてのアメリカ・ツアーを行うのだが、その初日はニューヨークであった。ここでの経験がシェイン・マガウアンにインスピレーションをあたえ、「ニューヨークの夢」にはまた新たな歌詞が書かれることになった。この時のライブのバックステージに、映像監督のピーター・ドハティと俳優のマット・ディロンが訪れるが、彼らは後に「ニューヨークの夢」のミュージック・ビデオにかかわることになった。

そうこうしているうちに、所属レーベルが経営上の問題をかかえ、ザ・ポーグスは作品がリリースできない状態に陥る。また、プロデューサーのエルヴィス・コステロとも袂を分かつことになったのだが、「ニューヨークの夢」で女性パートを歌うことになっていたケイト・オーリアダンがエルヴィス・コステロと付き合っていたので、バンドを脱退して結婚するという事態も生じた。「ニューヨークの夢」はリリースもされないまま、女性ボーカリストを失うことになったわけである。

レーベルの問題が解決し、ザ・ポーグスのプロデュースをスティーヴ・リリーホワイトが行うことになった。「ニューヨークの夢」のデモを男女ボーカル共にシェイン・マガウワンで録音していたのだが、スティーヴ・リリーホワイトが女性パートの仮歌を妻のカースティ・マッコールに歌わせてみたところ、これがかなり良いということになり、正式なレコーディングでも歌うこととなった。

この曲のミュージック・ビデオは1987年11月に、ニューヨークで行われたという。監督はピーター・ドハティ(名前が似ているが、もちろんザ・リバティーンズのピート・ドハーティとは別人である)、マット・ディロンは警官の役で出演することになった。シェイン・マガウワンがピアノを弾きながら歌っている場面があるが、実際には楽器を弾くことができない。ピアノを弾いている手がアップになる場面は、バンド・メンバーのジェイムズ・ファーンリーが指にシェイン・マガウワンの指輪をつけて撮影したようだ。

撮影の一部は、本物の警察署で行われているという。歌詞にニューヨーク市警の聖歌隊が「ゴールウェイ湾」を歌っているというくだりがあり、これもビデオで再現しようとしたようだ。実際にニューヨーク市警に聖歌隊は無かったということだが、これは似たような音楽系の組織に属する人たちで代用したようだ。しかし、彼らは歌詞に出てくる「ゴールウェイ湾」という曲を知らない。どうやら、有名なアイルランドの民謡らしい。それでも、撮影は行わなければならず、特にビデオで彼らの歌が流れるというわけでもないので、歌詞を知っている曲を何かということで、ディズニーの「ミッキー・マウス・マーチ」を歌ったらしい。それが、スローモーションで使われているという。

このような紆余曲折を経てリリースされた「ニューヨークの夢」だが、アメリカから帰るや否や出演した人気テレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」の効果もあり、すぐにヒットしたという。そればかりか、リリースから34年を迎えた今日も聴かれ続け、すっかりクリスマスのスタンダード・ナンバーになったといえるだろう。