1992年の洋楽ロック&ポップス名曲ベスト20

1992年にリリースされた洋楽ロック&ポップスからこれは名曲なのではないかと思える20曲を挙げていきたい。

20. I Will Always Love You – Whitney Houston

ホイットニー・ヒューストンが主演映画「ボディガード」のテーマソングとしてリリースし、全米シングル・チャートで当時における歴代新記録である14週にわたる1位を記録したほか、世界中で大ヒットした。

この曲はカントリーのシンガーソングライター、ドリー・パートンが1974年にリリースし、全米カントリー・チャートで1位に輝いた曲のカバーである。

当初はジミー・ラフィン「恋に破れて(原題:What Becomes Of The Brokenhearted)」をカバーする予定だったのだが、映画「フライド・グリーン・トマト」のサウンドトラックでポール・ヤングがカバーしていたため、別の曲にすることになり、この曲が良いのではないかと提案したのは、「ボディガード」でホイットニー・ヒューストンと共演していたケヴィン・コスナーだったという。

まったくの余談だが、明石家さんまの何十年間にもわたり基本的にほとんど変わっていない髪型は、「ボディガード」出演時のケヴィン・コスナーをモデルにしている、と「ヤングタウン土曜日」で話していたような気がする。

19. Deeply Dippy – Right Said Fred

イギリスの3人組ポップグループ、ライト・セッド・フレッドのデビューアルバム「アップ」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで1位に輝いた。

スキンヘッドのボーカリストがひじょうに目立っていて、1991年に全米シングル・チャートで最高2位を記録した「アイム・トゥー・セクシー」で一発屋になるかと思いきや、その後もヒットが続いたという印象である。

日本でもヴァージン・ジャパンの営業がプロモーションに力を入れていた。

インディーロックファンにもわりと人気があり、ある土曜日の午後に渋谷のFRISCOに行くと、カウンター内の店員が何人かでCDに合わせてこの曲を歌っていたという報告を受けている。

マニック・ストリート・プリーチャーズ、セイント・エティエンヌ、フラワード・アップがヘヴンリー・レコーズからライト・セッド・フレッドのカバーEPをリリースしていた。

18. My Lovin’ (You’re Never Gonna Get It) – En Vogue

アン・ヴォーグの2作目のアルバム「ファンキー・ディヴァス」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。

美しいハーモニーとジェームス・ブラウン「ペイバック」のギターリフがサンプリングされたファンキーなサウンドがマッチした、素晴らしいポップソングである。

相手をリスペクトしない限り愛は手に入れられないというメッセージが込められ、フェミニズム的なアンセムとしても機能している。

17. Tennessee – Arrested Development

アレステッド・ディベロップメントのデビューアルバム「テネシー(遠い記憶)(原題:3 Years, 5 Months And 2 Days In The Life Of…)」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高6位を記録した。

ギャングスタラップが流行していたこの当時、アレステッド・ディベロップメントのコンシャスでオーガニックな音楽性はユニークであり、ひじょうに高く評価されていた印象がある。

プリンス「アルファベット・ストリート」がサンプリングされていることでも知られている。

全英シングル・チャートでの最高位は46位だったが、イギリスでは同じアルバムからスライ&ザ・ファミリーストーン「エヴリデイ・ピープル」を引用した「ピープル・エヴリデイ」が最高2位のヒットを記録していた。

16. Avenue – Saint Etienne

セイント・エティエンヌの5枚目のシングルで、全英シングル・チャートで最高40位を記録した。

それまでのシングルにはダンスミュージック的な要素が強かったのだが、この曲はノスタルジックなバラードとなっていて、それも影響してか全英シングル・チャートでの順位はあまり高くなかった。

しかし、60年代的なポップ感覚を90年代のテクノロジーで再現するというようなコンセプトにはひじょうに合っていて、7分半以上もある(ラジオ用にはより短く編集したバージョンが存在したが)この曲をあえてシングルとしてリリースした意義は大きかったような気もする。

1993年にリリースされたアルバム「ソー・タフ」にも収録された。

15. Jump Around – House Of Pain

ハウス・オブ・ペインのデビューシングルで、全米シングル・チャートで最高3位のヒットを記録した。

サイプレス・ヒルのDJマグスによってつくられたビートはメンバーに拒絶され、次に提供しようとしたアイス・キューブにも断られ、結果的にハウス・オブ・ペインの楽曲に使われると大ヒットした。

イントロのファンファーレ的なフレーズは、ローリング・ストーンズのカバーでも知られるボブ&アール「ハーレム・シャッフル」からサンプリングされている。

14. Drive – R.E.M.

R.E.M.のアルバム「オートマティック・フォー・ザ・ピープル」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高11位を記録した。

アルバムからの先行シングルにしてはひじょうに地味な印象をあたえてはいたのだが、当時のアメリカの政治状況に対する失望が色濃く反映し、歌詞の一部フレーズにもあらわれている。

オーケストラアレンジはアルバムに収録されたいくつかの曲と同じく、元レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズが手がけている。

13. Popscene – Blur

ブラーの4枚目のシングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高32位を記録した。

この前の年に当時のトレンドであったインディーダンス的でもあるシングル「ゼアズ・ノー・アザー・ウェイ」がトップ10ヒットを記録し、ブレイクしたブラーにとっては失望するような順位であった。

借金をかかえたバンドはグランジロックが盛り上がるアメリカでツアーを行い、本格的なホームシックに陥る。その反動で誇張したイギリス性を特徴とする音楽が生まれ、ブリットポップにつながっていく。

この曲はブラーがインディーダンス的な路線から脱し、パンキッシュでもあるユニークな音楽性を模索した意欲作であり、当時は大きくヒットしなかったものの、バンド自体やブリットポップというサブジャンルにとってひじょうに重要な楽曲として評価されるに至った。

12. Pretend We’re Dead – L7

ロサンゼルス出身のオルタナティヴロックバンド、L7の3作目のアルバム「ブリックス・アー・ヘヴィー」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高21位を記録した。

ニルヴァーナ「ネヴァーマインド」の大ヒットを受けて、アメリカのオルタナティヴロックがトレンド化していたが、メンバーの失恋がきっかけで書かれたというこの曲に漂うキャッチーな無気力感がグランジロック的なムードにもハマり、注目されるようになった。

バンドにとっての代表曲でもあり、2016年に公開されたドキュメンタリー映画のタイトルにもなっている。

11. Metal Mickey – Suede

スウェードの2枚目のシングルで、全英シングル・チャートで最高17位を記録した。

グラムロック的な音楽性が高く評価されていたが、ギタリストでソングライターのバーバード・バトラーによると、シェールのカバーバージョンがヒットしていた「シュープ・シュープ・ソング」やザ・キンクス「ユー・リアリー・ガット・ミー」に影響を受けているという。

日本ではイギリスでのデビューシングルとまとめて収録したCDが発売された。

10. Everybody Hurts – R.E.M.

アルバム「オートマティック・フォー・ザ・ピープル」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高7位を記録した。

誰もが傷ついているのだから頑張っていこう、というようなストレートなメッセージが一切の皮肉もなく歌われているバラードで、バンドのファン以外の層からも広く支持された曲である。

音楽的にはスタックスのR&Bに影響を受けてもいるという。

9. Friday I’m In Love – The Cure

ザ・キュアーのアルバム「ウィッシュ」からシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高6位を記録した。

月曜から木曜まではつまらないが金曜には恋におちる、というようなことが歌われたポップでキャッチーな曲で、漆黒のイメージも強いバンドにしては「ジャスト・ライク・ヘヴン」と並んで特に明るい曲として知られている。

とはいえ、それは平常時が地獄であるからこその躁状態であるようにも感じられなくもない。

8. Sheela-Na-Gig – PJ Harvey

PJハーヴェイのデビューアルバム「ドライ」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングルチャートで最高69位を記録した。

フェミニスト的なアティテュードのシンガー・ソングライター、ポリー・ジーン・ハーヴェイを中心とするオルタナティヴロックバンドとして話題になり、批評家からは早くからひじょうに高く評価されていた。

タイトルはギリスやアイルランドの教会、城などに見られる女性器を露わにした裸体の彫刻から取られているようだ。

7. It Was A Good Day – Ice Cube

アイス・キューブのアルバム「略奪者(原題:The Predator)」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで最高15位であった。

アイズレー・ブラザーズ「フットステップス・イン・ザ・ダーク」をサンプリングしたクールなトラックに乗せて、今日がいかに良い日だったかについて語られている。

その理由の一つとして知り合いが誰も殺されなかったことが挙げられているが、この年に起こったロス市警の警官によるロドニー・キング暴行殺害事件とそれをきっかけとする暴動の余韻が影響しているようにも感じられる。

6. Babies – Pulp

1978年に結成されたインディーロックバンド、パルプが苦節の末にブレイクを果たすにあたり、ターニングポイントになったと考えられるシングルだが、最初にリリースされた時には全英シングル・チャートにランクインすらしていなかった。

シンセサイザーを効果的に用いたニューウェイヴ的でもあるサウンド、姉妹のどちらをも好きになってしまう男をテーマにした内容と、一般大衆的にはほとんど無名であるにもかかわらずスター気分のジャーヴィス・コッカーによるパフォーマンスなど、ひじょうにポップでキャッチーでありながら味わい深くもある楽曲である。

メジャーレーベルのアイランドと契約後、1994年には「ザ・シスターズEP」の収録曲として再リリースされ、全英シングル・チャートで最高19位を記録した。

5. Creep – Radiohead

レディオヘッドのデビューシングルで、最初のリリース時にはヒットしなかったが、イスラエルやアメリカのカレッジラジオで人気が出た後、逆輸入的にイギリスでも再発され全英シングル・チャートで最高7位のヒットを記録した。

ニルヴァーナやピクシーズにもつながる強弱の落差を強調したサウンドや、グランジロックの感覚とも通じる自虐的な歌詞とがインディーロックファンのハートを特につかんだのではないかと思われる。

トム・ヨーク自身はあまり気に入っていなく、ライブでもあまり演奏されなくなっていった。

4. Motorcycle Emptiness – Manic Street Preachers

マニック・ストリート・プリーチャーズのデビューアルバム「ジェネレーション・テロリスト」からシングルカットされ、全英シングルチャートで最高17位を記録した。

メンバーの様々な言動や行動によって、ギミック的に見られがちでもあった初期のマニック・ストリート・プリーチャーズだが、「享楽都市の孤独」という邦題があらわすようなタイプのロマンティシズムを感じさせるこの曲で、実はかなり良いのではないかと相当数の人々に気づかせたと思われる。

東京や横浜で撮影されたミュージックビデオにも切なさが溢れていてとても良い。

3. Killing In The Name – Rage Against The Machine

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのデビューアルバム「レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン」からシングルカットされ、当時は全英シングル・チャートで最高25位を記録するが、2009年にはオーディション番組から生まれたシングルがクリスマスの週に1位になるのを阻止しようという運動によって、1位に輝いた。

ラップとヘヴィーメタルとを融合した音楽スタイルで、アティテュードはひじょうにパンクロック的であった。特に「Fuck you, I won’t do what you tell me」というフレーズは本質的すぎてとても良い。

2. Nuthin’ But A G Thang – Dr. Dre featuring Snoop Dogg

ソクター・ドレーのソロデビューアルバム「ザ・クロニック」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートで最高2位を記録した。

ソロデビュー前のスヌープ・ドッグをフィーチャーしたこの曲は、Gファンクというサブジャンル一般大衆に広める上で大きな役割を果たしたようにも思える。

1. The Drowners – Suede

スウェードのデビューシングルで、全英シングル・チャートで最高49位を記録した。

当時のシーンに欠如していたセクシーでグラマラスな要素を有したバンドとして、イギリスの一部メディアが推しまくったという要因もあったとはいえ、それにしても受けまくっていた。

全英シングル・チャートでの順位が意外にも低いのは当時それほどプレスされていなく、入手が困難だったからのような気もするのだが実際のところは定かではない。少なくとも日本においては西新宿のラフトレードショップなどでも、品切れしていた時期が長かったような気がする。

日本でこのバンドのCDを出すことを検討していたソニーの社員もこのシングルを入手できていなく、当時CDショップの店員であった私が個人的にカセットテープを差し上げたことが思い出される。

この曲も収録したデビューアルバム「スウェード」が翌年にリリースされると、全英アルバムチャートで初登場1位に輝き、ブリットポップが本格的に盛り上がるきっかけとなった。