ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース「スポーツ」について。

ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのアルバム「スポーツ」は1983年9月15日に発売され、その約9ヶ月半後、1984年6月30日付の全米アルバム・チャートで1位に輝いた。さらにこの年の全米年間チャートでは、マイケル・ジャクソン「スリラー」に次ぐ2位だったということで、とにかくものすごく売れていたのである。もちろん、マイケル・ジャクソン「スリラー」の方が売れていたのだが、このアルバムは前年に続き2年連続で年間1位と、とにかくモンスター級の売れ具合であった。ちなみに、この年は日本のオリコン年間アルバムランキングでもマイケル・ジャクソン「スリラー」が1位、2位が「フットルース」のサウンドトラックで、3位がサザンオールスターズ「人気者で行こう」であった。

1983年の全米ヒット・ソングといえば、映像と共に記憶されていがちという印象があり、特にマイケル・ジャクソン「スリラー」からシングル・カットされて1位になった「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンを強く印象づけたカルチャー・クラブ「君は完璧さ」、デュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ア・ウルフ」、それから大ヒットしたポリス「見つめていたい」やデヴィッド・ボウイ「レッツ・ダンス」といったところだろうか。これには1981年に開局したMTVが大流行して、いよいよヒットチャートにも大きく影響を及ぼしてきたというところが大きいのだろうが、日本の音楽ファンにとってはテレビ朝日系で放送されていた「ベストヒットUSA」がひじょうに重要だったのではないかと思える。

イギリスのアーティストはすでに映像に力を入れているケースが多かったことから、初期のMTVではよくオンエアされ、それが第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンにつながったともいわれている。ところが、その翌年である1984年にはそれ以前の揺り戻しなのかは定かではないが、アメリカの音楽がヒットするケースが多かったように思える。というか、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース「スポーツ」がリリースされる1983年秋の時点で、ビリー・ジョエルのモータウンサウンド的でノスタルジックでもある「あの娘にアタック」がヒットしてはいた。

1984年に全米アルバム・チャートで1位になったアルバムはたった5タイトルしかなく、それは、マイケル・ジャクソン「スリラー」、「フットルース」のサウンドトラック、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース「スポーツ」、ブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」、プリンス&ザ・レヴォリューション「パープル・レイン」であった。いずれもアメリカのアーティストによるものか、いかにもアメリカ的な映画のサウンドトラックである。

というわけで、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのアルバムがひじょうに売れていたという話なのだが、当時、一体どのような人達が熱心に聴いていたのだろうか、ということになると、よく分からなかったりはするわけである。とはいえ、マイケル・ジャクソンがペプシコーラのCMに出演していた時、コカコーラがそれに対抗して出演をオファーしたのがヒューイ・ルイスであり、それは断られたために実現しないのだが、またはあの大ヒット映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主題歌「パワー・オブ・ラヴ」をヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは1985年に歌って大ヒットさせるのだが、映画の主人公の少年はヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのファンだという設定だったらしい。また、1991年に出版されたブレット・イーストン・エリスの小説で後に映画化もされた「アメリカン・サイコ」は、ヤングエグゼクティヴな若者が実は連続殺人鬼だったという衝撃的な内容で物議を醸したが、この主人公もまた、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの音楽を好んで聴いていた。

オーセンティックなアメリカン・ロックではあるのだが、80年代のポップスとしても現役感がある音づくりがされていて、それがヒットの秘訣だったような気もする。この手法はスティーリー・ダン「ヘイ・ナインティーン」にヒントを得たものだともいわれているようだ。ヒューイ・ルイスが70年代に所属していたクローヴァーというバンドは、エルヴィス・コステロのデビュー・アルバム「マイ・エイム・イズ・トゥルー」で演奏しているのだが、これにはヒューイ・ルイスは参加していなく、なぜならハーモニカのパートが無かったからだともいわれている。一方、ヒューイ・ルイスは当時、シン・リジィとも交流があり、「スポーツ」に収録されている「バッド・イズ・バッド」はヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのバージョンが発売される前から、すでにカバーされていたというし、デイヴ・エドモンズによるバージョンもすでに存在していた。

当初のバンド名はヒューイ・ルイス&ジ・アメリカン・エクスプレスだったらしいのだが、いろいろあって、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースに改名したようだ。多くの人々がその存在を知るきっかけとなったのは、1982年のヒット曲「ビリーヴ・イン・ラヴ」だったのではないだろうか。とにかく爽やかで良い感じのポップロックであった。

この年の夏に旭川で高校1年だった私は、洞爺湖だったかどうか忘れたが親戚の集まりのようなものがあり、仕方がなく行ったのだったが、帰りに札幌で少し時間があったので五番街ビルという建物の中にあったタワーレコードに行った。当時のタワーレコードは現在とはかなり違い、輸入盤専門店であった。この札幌の五番街ビルにあったタワーレコードは、アメリカの本社が日本に出店する前から勝手にそう名乗って経営されていたらしく、ちょうど日本進出を考えていたところだったので買い取られたらしい。それで、1980年にオープンしたここが日本で初めてのタワーレコードで、渋谷の宇田川町に2号店ができるのは翌年のことだった。

客も店員もほぼ全員が日本人だったとは思うのだが、ドアを開けたらそこはもうアメリカ、というような雰囲気があって、とても良かった。しかし、お金をそれほど持っていなかったので、1枚ぐらいしかアルバムが買えず、迷った末にヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの「ベイエリアの風」を選んだ。「ビリーヴ・イン・ラヴ」を収録したアルバムである。特にヒューイ・ルイス&ザ・ニュースが好きだったわけでもないが、夏のはじめの晴れた日の午後、まるでアメリカのようなタワーレコードの店内にいて、なんとなくこれを買うのが正解のような気がした。

前の夜にはホテルの部屋に持ち込んだラジオでこっそり「全米トップ40」を聴いていたのだが、ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー「エボニー・アンド・アイボリー」に替わって、ヒューマン・リーグ「愛の残り火」が1位になっていた。

「ベイエリアの風」の原題は「Picture This」である。日本盤のジャケットは鈴木英人がデザインをしたシティ・ポップ的な感じになっていて、日本ではそのような層にアピールしたいのだなという意図が見えるようであった。「FMステーション」が創刊された翌年で、山下達郎「FOR YOU」が大ヒットした年であった。

「スポーツ」からの先行シングル「ハート・アンド・ソウル」にはちょっと地味なのではないかという気がしなくもなかったのだが、全米シングル・チャートで最高8位とちゃんとヒットしていた。次のシングルは「アイ・ウォント・ア・ニュー・ドラッグ」でなかなか面白かったのだが、翌年にレイ・パーカーJr.が映画「ゴーストバスターズ」の主題歌をリリースして大ヒットさせた時に、あまりにもこの曲に似すぎていて、歌詞が変わっているだけで同じ曲なのではないかと思ったほどであった。案の定、後に裁判沙汰になったようである。レイ・パーカーJr.はレイディオとやっていたクリスタルなブラック・コンテンポラリー「ウーマン・ニーズ・ラヴ」などが大好きなのだが、「アイ・スティル・キャント・ゲット・オーヴァー・ラヴィング・ユー」に「I・STILL・愛してる」という邦題をつけるのはどうかと思った。もちろん、大好きなセンスではあるのだが。

そして、3曲目のシングル・カットがアルバムでは1曲目に収録された「ハート・オブ・ロックンロール」で、心臓の音ではじまるイントロから、単純明快で気分爽快なロックンロールが展開され、かなりご機嫌なのであった。そして、次のシングル「いつも夢見て(原題:If This Is It)」は、ドゥーワップの要素もマイルドに取り入れ、とにかくノスタルジックで新しさのようなものはほとんど感じられないのだが、抗えない良さがあり最高であった。最後にシングル・カットされた「ウォーキング・オン・ア・シン・ライン」にもやはり軽快さがあるのだが、実はベトナム帰還兵のストレスをテーマにしたシリアスな内容であった、そして、アルバムのラストはハンク・ウィリアムズ「ホンキー・トンク・ブルース」である。

当時、アメリカで売れまくったのだが、音楽メディアの歴代名盤リスト的なものにはおそらく選ばれていない。私が通っていた大学のクラスには、日焼けして髪にソバージュをあて、イケイケと形容するのが相応しい女子も少なくはなかったのだが、オーラルイングリッシュという授業で隣になったのは埼玉県の朝霞市というところから通っているらしい、清潔感のあるタイプであった。それで安心して話したりもしていたのだが、好きな音楽の話題になるとヒューイ・ルイスの名前を挙げていたので好感が持てた。確か「FORE!」というアルバムがリリースされた頃で、小田急相模原のイトーヨーカドーの斜め向かいぐらいにあった、レコードレンタル友&愛で借りて聴いていたような記憶がある。

ポップ・ミュージック史における重要性だとか、そういった文脈で語られることはほとんどないと思うのだが、プリンス「パープル・レイン」とブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」(あるいは、佐野元春「VISITORS」やザ・スタイル・カウンシル「カフェ・ブリュ」)の年にものすごく売れていた、とても楽しいアルバムであることには間違いがない。