カイリー・ミノーグ「熱く胸を焦がして」について。

2001年10月6日付の全英シングル・チャートでは人気ポップ・グループ、ステップスの「チェイン・リアクション/ワン・フォー・ソロウ」が2位に初登場したのだが、1位は前週に引き続き、カイリー・ミノーグ「熱く胸を焦がして」であった。個人的に原題の「Can’t Get You Out Of My Head」の方で覚えているのだが、この邦題は当時、シカゴ「Hard To Say I’m Sorry」が「素直になれなくて」だったり、カルチャー・クラブ「Do You Really Want To Hurt Me」が「君は完璧さ」だった程度に普及していたのだろうか。

とにかくこの曲は当時、実に40ヶ国以上のシングル・チャートで1位になったというのだからすごい。カイリー・ミノーグといえばオーストラリア出身で「ネイバーズ」というテレビドラマに出演したことで人気が出て、その後、ストック・エイトキン・ウォーターマンがプロデュースしたユーロビート的な楽曲を次々とヒットさせ、ガール・ネクスト・ドア的な雰囲気が人気であった。イギリスではその後、よりクラブ・オリエンティッドな音楽性やセクシーなイメージにシフトして、ヒット曲を出し続けていたのだが、アメリカでは80年代でヒットが途絶えていた。

「熱く胸を焦がして」を書いてプロデュースしたのは、キャシー・デニスとロブ・デイヴィスのコンビである。キャシー・デニスはダンス・ポップ・ユニット、Dモブのボーカリストとして活動した後、ソロ・アーティストとしてもいくつかの曲をヒットさせている。ロビ・デイヴィスは70年代に活躍したグラム・ロック・バンド、マッドのギタリストだった人である。とてもナチュラルに出来上がったというこの曲は当初、人気ポップ・グループのS Club 7に持ち込まれたのだが、イメージに合っていないのではないかということになり、次にはボーカリストとして参加したスピラー「グルーヴジェット(イフ・イット・エイント・ラヴ)」が全英シングル・チャートで1位に輝いたソフィー・エリス・ベクスターに持ち込まれるが、却下されてしまった。そして、カイリー・ミノーグはデモテープを聴いてすぐにこの曲を気に入り、レコーディングを希望したという。

ユーロビートからクラブ・ミュージックへの路線変更は成功したのだが、実は1997年にマニック・ストリート・プリーチャーズのメンバーが提供した曲をシングルとしてリリースし、これがカイリー・ミノーグにしてはそれほど売れないというようなこともあった。同じ頃、かつて交際していたことがあるイン・エクセスのマイケル・ハッチェンスが亡くなるということもあり、精神的に不安定だったという。その頃、池袋のメトロポリタンプラザにあったHMVでプロモーションをやったりもしていて、ミーハーなファンの私はそれに行ったのだが、かなり元気がなさそうに見えた。

ところが00年代に入るとディスコ・リバイバル的な要素も取り入れたダンス・ポップ、「スピニング・アラウンド」をヒットさせ、復活を印象づけた。そして、「熱く胸を焦がして」である。ポップスターが歌うクラブ・ミュージック的なポップスというのではなく、がっつり本格的なクラブ・ミュージックとしても通用するクオリティーだったところがひじょうに大きい。ダンス・ポップでありディスコやテクノの要素も入っていて、ポップでキャッチーでありながらもエッジでトレンディーというような、つまりポップ・シングルとしてほぼ完璧だったのである。

サウンドには未来的で非人間的なところも感じられるのだが、ボーカルには絶妙にマイルドなエロスも混入していて、内容が好きな人のことが頭から離れられないというものである。ミュージックビデオにはやはり未来的なムードが漂っているのだが、胸のあたりがとても大胆にカットされた衣装を着て歌い踊るカイリー・ミノーグがひじょうに印象的でもあり、とても忘れがたいのであった。

この年はザ・ストロークスのデビュー・アルバム「イズ・ディス・イット」とミッシー・エリオットの「ゲッチュア・フリーク・オン」、そして、カイリー・ミノーグの「熱く胸を焦がして」がポップ・ミュージックにおけるハイライトだったのではないかと思う。

ディスコ・クラシック的な感覚を現在のテクノロジーで甦らせたかのような、フューチャー・ノスタルジックなダンス・ポップが近年のトレンドでもあるが、そういった文脈においても「熱く胸を焦がして」には評価すべき点がひじょうに多いように思える。

2002年のブリット・アワーズではニュー・オーダー「ブルー・マンデー」のビートに乗せて「熱く胸を焦がして」が歌われるバージョンもパフォーマンスされ、このバージョンは後にシングル「ラヴ・アット・ファースト・サイト」のカップリング曲として収録もされた。