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スモーキー・ロビンソンの名曲ベスト10

スモーキー・ロビンソンは1940年2月19日、ミシガン州デトロイトで生まれ、ザ・ミラクルズのメンバーやソロアーティストとして活躍したほか、ソングライターとしてもテンプテーションズ「マイ・ガール」、マリー・ウェルズ「マイ・ガイ」、マーヴィン・ゲイ「エイント・ザット・ペキュリアー」といった、数々のヒット曲を世に送り出している。

今回はスモーキー・ロビンソンのアーティストとしてレコーディングされた楽曲の中から、これは名曲なのではないかと特に思える10曲を挙げていきたい。

10. (Come ‘Round Here) I’m The One You Need – The Miracles (1966)

スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの楽曲はメンバー自身によって作詞・作曲やプロデュースされている場合も多いのだが、この曲はモータウンの名物ソングライターチーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドによって、作詞・作曲、プロデュースされ、全米シングル・チャートでは最高16位を記録している。

ちなみにアーティスト表記は当初、ザ・ミラクルズであったが、このシングルの後からスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズになり、スモーキー・ロビンソンが脱退してから再びザ・ミラクルズになっている。

ザ・ミラクルズの曲には悲しい恋をテーマにしたものが少なくはないのだが、この曲は恋人に裏切られ悲しみにくれる女性に対し、自分こそが必要とするべき男だと熱く訴えかける内容となっていて、テンションが高いのが特徴である。

9. Cruisin’ – Smokey Robinson (1979)

スモーキー・ロビンソンがザ・ミラクルズを脱退し、ソロアーティストとしてデビューしたのは1973年だったのだが、なかなか大きなヒットを生み出すことができなかった。とはいえ、1975年の「ベイビー・ザッツ・バカッチャ」は全米シングル・チャートで最高26位、全米R&Bシングル・チャートでは1位に輝いていたり、「クワイエット・ストーム」は全米シングル・チャートでの最高位こそ61位とそれほど高くはないものの、タイトルがサブジャンル名になるほどの影響力があった。

そして、1979年にリリースされたこの曲が全米シングル・チャートで最高4位のヒットを記録する。現在ならばシティ・ソウルなどとも呼ばれるのだろうか、都会的で洗練されたサウンドにスモーキー・ロビンソンの甘いボーカルが絶妙にマッチし、とても良い感じになっている。

8. Baby, Baby Don’t Cry – Smokey Robinson & The Miracles (1968)

スモーキー・ロビンソン、アル・クリーヴランドとこの曲を共作しているテリー・ジョンソンは、「瞳は君ゆえに(原題:I Only Have Eyes For You)」のヒットで知られるザ・フラミンゴスの元メンバーである。

タイトルからも想像できるように、この曲もまた悲しみにくれる人を慰めるようなタイプのバラードである。スモーキー・ロビンソンのやはりとても甘い語りから入り、マーヴ・タープリンのギターのフレーズが雨だれや涙を連想させたりもする。全米シングル・チャートでは最高8位を記録した。

7. Being With You – Smokey Robinson (1981)

スモーキー・ロビンソンの1981年のヒット曲で、全米シングル・チャートではソロアーティストとしては最高位となる全米シングル・チャートで最高2位、全英シングル・チャートでは1位に輝いている。個人的には全米シングル・チャートをチェックしはじめた中学生の頃のヒット曲ということになり、スモーキー・ロビンソンのそれまでの経歴などはまったく知らずに、純粋に良い曲だと思ってシングルを買った記憶がある。

やはりとろけるように甘いボーカルとブラックコンテンポラリー的なサウンド、いかにも80年代らしいサックスの音色もひじょうに好ましいラヴバラードになっている。全米シングル・チャートでこの曲が1位になることを阻止したのはキム・カーンズ「ベティ・デイヴィスの瞳」である。キム・カーンズはこの少し前にスモーキー・ロビンソンの「モア・ラヴ」をカバーしてヒットさせていたのだが、この「ビーイング・ウィズ・ユー」というも当初はキム・カーンズに提供する予定があったのを、プロデューサーのアドバイスによって自身で歌うことにしたのだという。

6. Going To A Go-Go – The Miracles (1965)

1960年代に流行した風俗としてゴーゴーダンスというのがあったわけだが、それらで踊ることを目的としたゴーゴークラブなるものもあったらしく、この曲もそのブームに便乗したものではないかと思われる。アップリフティングでご機嫌なダンスチューンとなっていて、全米シングル・チャートでは最高11位を記録した。

ローリング・ストーンズがライブでこの曲をカバーしていて、1982年にリリースされたライブアルバム「スティル・ライフ(アメリカンコンサート’81)」からはシングルカットもされていた。日本ではEPOが1987年のアルバム「GO GO EPO」の1曲目に、この曲のカバーを収録していた。

5. You’ve Really Got A Hold On Me – The Miracles (1962)

ザ・ミラクルズの初期を代表するヒット曲で全米シングル・チャートで最高8位を記録しているが、ビートルズがアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」などに収録したカバーバージョンでも広く知られる。スモーキー・ロビンソンがビジネスでニューヨークに滞在していた時に聴いたサム・クック「ブリング・イット・オン・ホーム・トゥ・ミー」に影響を受け、ホテルの部屋で書かれたといわれる。

4. Ooo Baby Baby – The Miracles (1965)

スモーキー・ロビンソンのボーカルの魅力が生かされた甘く美しいラヴバラードかと思いきや、浮気をしてしまったことを悔やむ男がテーマになっていた。

トッド・ラングレンがアルバム「魔法使いは真実のスター」において、ジ・インプレッションズ「アイム・ソー・プラウド」、デルフォニックス「ラ・ラは愛の言葉」、ザ・キャピトルズ「クール・ジャーク」とのメドレーでカバーしていて、個人的にも初めて聴いたのはこのバージョンであった。

スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズのベストアルバムをCDで持っていたのだが、この曲は入っていなく、六本木WAVEでまた別のベストアルバムを買った。トッド・ラングレンのカバーを聴いた時点でとても良い曲だと思っていたのだが、これがスモーキー・ロビンソンによって歌われるとたまらないものがあると感激したものである。リンダ・ロンシュタットなど、他のアーティスト達によってもいろいろカバーされている。

また、ビートルズ「アイ・アム・ザ・ウォルラス」における「I’m crying」というところは、スモーキー・ロビンソンのファンであったジョン・レノンによるこの曲からの引用だったともいわれている。

3. I Second That Emotion – Smokey Robinson & The Miracles (1967)

英語で「second a motion」には、会議などで「動議に賛成する」などの意味があり、この曲のタイトルは、スモーキー・ロビンソンがデトロイトのデパートで真珠のセットを見つけて妻にプレゼントしようとした時に、気に入ってくれるといいのだがというようなことをいったのに対し、一緒にいたソングライターのアル・クリーヴランドが「I second that motion」というところを、「I second that emotion」言い間違えてしまったことに由来している。

ポップでキャッチーな楽曲ではあるのだが、内容は好意を寄せている相手がなかなか誠実に自分を愛してくれないというしんどい状態にある主人公が、それでも真面目に愛してくれるというのなら、その気持ちを支持するよ、というような前向きではあるのだがどこか哀感を感じさせもするものとなっている。全米シングル・チャートでは、3週連続で記録した4位が最高位となっている。

80年代にはイギリスのニュー・ウェイイヴバンド、ジャパンによるカバーバージョンが全英シングル・チャートで最高9位のヒットを記録した。

2. Tears Of A Clown – Smokey Robinson & The Miracles (1967)

スティーヴィー・ワンダーを見いだしたのはザ・ミラクルズのロニー・ホワイトだといわれているのだが、当時、10代にしてプロデューサーのハンク・コスビーと共作したのがこの曲であったが、歌詞ができずにインストゥルメンタル曲の状態でモータウンのクリスマスパーティーに持っていった。

この曲にどこかサーカス的なフィーリングを感じ取ったスモーキー・ロビンソンは、ピエロの涙をテーマにした歌詞をつけ、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズによってレコーディングされることになった。顔では笑っているが心は悲しい、というような内容である。1967年のアルバム「メイク・イット・ハプン」に収録されたのだが、シングルカットはされなかった。

1970年の時点でスモーキー・ロビンソンはすでにザ・ミラクルズからの脱退を考えていたのだが、イギリスにおいて人気が高まり、新曲のリリースが求められていた。しかし、その時点で新しい楽曲が無かったために、過去の作品の中からこの曲がシングルカットされた。そうすると全英シングル・チャートでグループにとって初の1位を記録する大ヒットとなり、アメリカでもシングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートでも1位に輝いた。

1979年にはイギリスのスカ・リバイバルバンド、ザ・ビートによってもカバーされた。日本では「涙のクラウン」の邦題で知られ、原題はRCサクセションが1986年のライブアルバムのタイトルに引用したりもしていた。

1. The Tracks Of My Tears – The Miracles (1965)

スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの魅力が凝縮されたようなこの楽曲はグループにとってのみならず、モータウンを代表する名曲としても知られ、「ローリング・ストーン」誌は2021年に発表したモータウンの歴代ベストソングにおいて、この曲を1位に選んでいる。

当時の全米シングル・チャートでの最高位は16位と、そのわりには意外と高くはなかった。全英シングル・チャートでは当初、ランクインしなかったのだが、1969年に最高9位を記録している。「ウー・ベイビー・ベイビー」と同様に、この曲もリンダ・ロンシュタットによってカバーされている。

今回、ベスト10に選んだ曲だけを見ても、涙や泣いている状態を描写した楽曲がわりと多く、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの音楽といえば、ポップでキャッチーでありながら悲しい気持ちをテーマにしているという印象がひじょうに強い。スモーキー・ロビンソンの甘い歌声は唯一無二の天才的なものであり、女性的な表現にも適しているといえる。それが、多くの人々が共感しうる悲しい気持ちをアートの域にまで高めてもいる。その真骨頂ともいえるのが、人からはパーティーの盛り上げ役のように見られがちな自分だが、大切な恋人が去ってしまい、よく見ると涙の跡が分かるはず、というようなことが歌われているこの曲なのではないだろうか。

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