佐野元春・杉真理・大滝詠一「ナイアガラ・トライアングルvol.2」

1982年のはじめといえば高校受験のことで頭がいっぱいであり、年頭にはすでに生活を朝型に変えていたため、「全米トップ40」もタイマー録音したカセットテープで聴いた。J・ガイルズ・バンド「堕ちた天使」はイントロのインパクトがひじょうに強いなと感じた。受験当日は朝に松本伊代の最新シングル「ラブ・ミー・テンダー」とB面の「虹色のファンタジー」を何度も繰り返し聴いて気合いを入れたので、もう他にできることは何もない。豊岡4条1丁目の農協の前に、同じ高校を受験する同級生の親の車が迎えに来てくれるはずなのだが、なかなか来ずに緊張が走った。少し遅れて到着し、乗り込むことができたのだが、宮本武蔵も巌流島の決闘に遅れて行って勝ったのだから大丈夫だ、というようなことを言っていて、こちとらそれどころではないのだが、という気分にはなっていた。このエピソードは入学後に、何度か引き合いに出した。

合格発表はラジオで聴いていて、現地には見に行かなかった。しかも、寝床の中である。理由は合格していない可能性も現実的にはわりとあったからなのだが、なんとか無事に合格していて、やっとプレッシャーから解き放たれた。それで、ようやく自由の身なので前から楽しみにしていたことをやろうということになり、それはつまり札幌のタワーレコードに行くということである。現在のようにタワーレコードはまだまったく有名ではなく、兄が札幌の大学に通っているという友人から聞いてその存在を知ったにすぎなかった。何でもその店には、夥しい数の輸入盤レコードが在庫されているらしい。というか、輸入盤レコードしか置かれていないという話である。

旭川と札幌の間の高速バスは当時はまだ通っていなかったのだろうか、それでまだ民営化していないのでJRではなく国鉄で札幌まで行き、駅で親戚のおばさんと小さないとこと待ち合わせをした。ESTAのレストランで食事をしたのだが、おそらくハンバーグのようなものを食べたような気がする。店内で「ESTAおめでとうフェア」をお知らせする放送が何度も流れていて、いとこが「おめでとうフェアだって」とその度に反応していた。それで、住所の番地だけを頼りにタワーレコードに行った。それは、五番街ビルという建物の中にあった。タワーレコードはアメリカの企業だが、日本に進出しようということになった時に、札幌で勝手にその屋号でやっていたレコード店があって、そこを買収したらしい。それで、日本におけるタワーレコード1号店は1980年に札幌にオープンしていて、翌年、渋谷に2号店ができた。宇田川町の東急ハンズの近くで、2022年3月現在はサイゼリヤ渋谷東急ハンズ前店になっているところである。

親戚のおばさんと小さないとこは同じビルの中にあった喫茶店で休むことにして、単独でタワーレコードに行った。エレベーターを降りて、ドアを開くとそこはもうアメリカという感じ衝撃を受けた。店員も客もおそらく日本人ばかりだったとは思うのだが、店内には輸入盤レコードと英語の冊子のようなものばかりが置かれていて、これはすごいと大興奮したのであった。当時、洋楽といっても全米ヒットチャートを追いはじめたばかりだったので、リック・スプリングフィールド「アメリカン・ガール」、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ「アイ・ラヴ・ロックンロール」、カーズ「シェイク・イット・アップ」、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「プライベート・アイズ」などを買った。

その後、そういえば「ナイアガラ・トライアングルvol.2」のレコードがそろそろ発売されているのではないかと思い、玉光堂に行った。当時のタワーレコードは輸入盤専門店であり、日本盤のレコードは扱っていなかった。玉光堂は北海道では有名なレコード店のチェーンであり、旭川には平和通買物公園のファッションプラザオクノと6条通14丁目のイトーヨーカドーの、いずれも地下に出店していた。店に入ると「ナイアガラ・トライアングルvol.2」はすでにディスプレイされていたので、迷うことなく手に取って、レジに持っていったのだった。ピンク色のジャケットがとても目立っていた。

「ナイアガラ・トライアングルvol.2」のアーティスト名は、佐野元春・杉真理・大滝詠一と表記されていた。アルバムの1曲目に3人で歌ったナイアガラ・トライアングル名義のシングル曲「A面で恋をして」、他にはソロ曲が各4曲ずつ収録されているのだが、その収録順が大まかには佐野元春、杉真理、大滝詠一である。大滝詠一はこの前の年にアルバム「A LONG VACVATION」をリリースし、大ヒットさせていた。オリコンのアルバムランキングでは寺尾聰「リフレクションズ」に次ぐ年間2位を記録する好セールスであった。大滝詠一はそれ以前に日本の伝説のロックバンド、はっぴいえんどに参加するなど、音楽ファンにはよく知られる存在だったようなのだが、当時、旭川の中学生であった自分には未知の存在であった。好きで見に行っていたアニメ映画「がんばれ!!タブチくん!!」シリーズ第2弾と第3弾のエンディングテーマ、クレイジーパーティー「がんばれば愛」の作曲者であったことを知るのはかなり後になってからであった(歌っていたのはスターダスト・レヴューの根本要である)。

それとは別に、佐野元春の音楽はNHK-FM「軽音楽をあなたに」で「ガラスのジェネレーション」「NIGHT LIFE」「君をさがしている(朝が来るまで)」を聴いてからとても気に入り、平和通買物公園のミュージックショップ国原で買ったアルバム「Heart Beat」のレコードは文字通り擦り切れるまで聴いた。その後にリリースされた「SOMEDAY」「ダウンタウン・ボーイ」といったシングルも気に入っていたのだが、小遣いも限られていたのでアルバムに収録されたら買おうと思っていた。そうこうしているうちに、松田聖子に「風立ちぬ」を提供するなどもして絶好調の大滝詠一によるプロジェクト、ナイアガラ・トライアングルのメンバーに佐野元春が抜擢されたと聞いて、これは良いぞというような気分になっていた。

そういった訳で、「ナイアガラ・トライアングルvol.2」を買った最大の動機は、佐野元春の新曲が入っているということであった。「A LONG VACATION」を買うのはこれよりも後になるので、大滝詠一のレコードを買うのもこれが初めてということになった。もう1人のメンバー、杉真理のことは、「すぎまり」ではなく「すぎまさみち」であることも含め、まったく知らなかった。ということで、玉光堂で買った「ナイアガラ・トライアングルvol.2」のレコードは、まずは自分の部屋ではなく札幌の親戚の家のステレオで聴くことになった。それで、この家の主人である親戚のおじさんというのが若かりし頃にバンドでエレキギターを弾いていたり、ビーチ・ボーイズが大好きだったりもする素晴らしい方で、この時は再結成したサイモン&ガーファンクルのライブアルバムをタワーレコードに買いにいこうかというような話もしていた。

「ナイアガラ・トライアングルvol.2」が発売された1982年3月21日は日曜日であり、札幌の親戚の家にいたのだが、自宅にいる時と同じようにNHK-FMの「リクエストコーナー」をカセットテープに録音させてもらった。この「リクエストコーナー」というのはタイトルにはまったく何のひねりもないものの、全米や全英のヒットチャート上位に入った曲ならばなんでもすべてノーカットでオンエアするという素晴らしい番組であった。この日は1982年3月20日付の全米シングル・チャートの順位を紹介しながら、何曲かをかけていたのだが、22位にランクインしていたヴァン・ヘイレン「オー・プリティー・ウーマン」もオンエアされた。札幌のおじさんがこれは昔のヒット曲のカバーだといって、後からロイ・オービソンのオリジナルを聴かせてくれた。

それはそうとして、「ナイアガラ・トライアングルvol.2」である。1曲目には1981年10月21日にシングルでリリースされ、オリコン週間シングルランキングで最高14位を記録していた「A面で恋をして」が収録されていた。リリース時にNHK-FM旭川放送局の「夕べのひととき」でかかったのをカセットテープに録音していて、それを何度も繰り返し聴いていた。ちなみに北海道に初の民放FM局ができるのはこの年の秋であり、この時には北海道でFM放送といえばNHK-FMしかまだなかった。この曲は資生堂のCMソングという話題性もあったのだが、出演していた女優と自民党代議士との不倫スキャンダルが週刊誌に載ったとかで、10日ぐらいで放送中止になった。

曲はバディ・ホリーをフィル・スペクターサウンドでやったら、というコンセプトのもとにつくられたようなのだが、そんなことなどまったく知らない中学生にとっても、オールディーズの影響を受けた新感覚のポップスだと感じられた。佐野元春のボーカルがソロとはまた違ったタイプの曲で聴けるというのもまたとても良く、特に「夜明けまでドライブ」のところでくちびるをふるわせて遊んでいるように聴こえるところなどが印象に残った。杉真理はとにかくとても甘い声だな、という印象であった。

「ナイアガラ・トライアングルvol.2」には当初、「A面で恋をして」を入れないという案もあったようなのだが、結局は1曲目に入ることになった。これがなければ1曲目は佐野元春の「彼女はデリケート」で、この曲の収録は大滝詠一からのリクエストでもあったという。沢田研二の1980年のアルバム「G.S. I LOVE YOU」のために書き下ろした曲であり、佐野元春もライブではレパートリーにしていた。留萌の親戚の家に遊びにいった時、いろいろなアーティストのライブ映像が流れる番組をテレビでやっていて、佐野元春が「アンジェリーナ」と「彼女はデリケート」を歌っていた。

「出発まぎわにベジタリアンの彼女は東京に残した恋人のことを想うわけだ。そう、空港ロビーのサンドイッチスタンド。でも、彼女はデリケートな女だから、コーヒーミルの湯気のせいでサンフランシスコに行くのをやめるかもしれないね」というどこか気取ったようなセリフが冒頭に入っているのだが、これがまたとても良かった。後半には「ツイスト・アンド・シャウト」が引用されていたり、疾走感あふれるロックンロールがエバーグリーンポップ的にアレンジされている感じがかなり良かった。

続く「Bye Bye C-Boy」は、かなり以前につくられた曲だということである。佐野元春が高校生の頃にバックレーン元春セクションというバンドで出場したポプコンことポピュラーソングコンテストで、演奏されていた曲だという。佐野元春の楽曲としては珍しく、年上の女性の視点で歌詞が書かれているところが特徴である。「ナイアガラ・トライアングルvol.2」の大まかなコンセプトとして、リバプールサウンドというのもあるようであり、「彼女はデリケート」では「ツイスト・アンド・シャウト」が引用されてもいたのだが、この曲においてもビートルズからの影響が感じられる。

その次に収録された「マンハッタンブリッジにたたずんで」は、いわゆる都会のきままな生活のような気分が感じられ、それは個人的に当時、佐野元春の音楽に求めていたものでもあった。「ストレートに誰かに愛を告げて その愛がまた別の愛を生む世界」というフレーズに感じ入ったりもしていた。あと、「チャンネルをゼロにあわせた時 どこからか聞こえてくるのは君のSweet Voice」というのもかなり良かった。

ところで当時、高校受験に合格したのはよかったのだが、中学1年の時に同じクラスだった女子で、2年から別々のクラスになったものの、卒業までずっと一方的に片想いをしていた人がいて、中学校生活の生きる目的は主に彼女と会話をしたり、その姿を見ることだったといっても過言ではない。4月から別の高校に通うということはすでに分かっていて、そうしたら一体、何を目的に生きていけばよいのだろうかということを、わりと真剣に考えていた15歳の春であった。しかし、数ヶ月もするとすっかり忘れているどころか、「もうあなたの表情の輪郭もうすれて」状態であり、その時に人の想いというものがいかに儚くも不確かなものであるかを思い知ったのであった。しかし、この時にはまだ「チャンネルをゼロにあわせた時 どこからか聞こえてくるのは君のSweet Voice」というのは、彼女の声でしかありえないと感じていた。

この次から杉真理の楽曲が続くわけだが、まずは「Nobody」である。この曲にはガツンとやられた、というか、当時、「ナイアガラ・トライアングルvol.2」収録曲の中で最も好きだったかもしれない。デル・シャノン「悲しき街角」とかジェームス・ディーンの寂しげな表情であったり、オールディーズ的な切なさの情景が浮かんでくるような曲だと感じていた。「君の喋る言葉の半分は意味がない 今はそれも聞けないよ」というフレーズも素敵だなと感じていたのだが、後にビートルズ「ジュリア」が「僕が喋る言葉の半分は意味がない」というような歌い出しではじまることを知り、なるほどこれなのかと感じたりもした。それ以前に、この次の「It always makes me blue」がビートルズ「抱きしめたい」のようである。

ちなみにこの頃、個人的にビートルズは中学校の英語教師が教科書を2学期までで終わらせて、3学期は「イエスタデイ」の歌詞を翻訳していく授業をやっていて、その時に女子が持ってきたカセットをラジカセで流していたのと、ジョン・レノンが亡くなった後にテレビで放送されていたビートルズ特集ぐらいでしか知らず、主体的にちゃんと聴いてはいなかった。オランダのスタジオミュージシャン集団、スターズ・オン45によるビートルズメドレーにして全米NO.1ヒット「ショッキング・ビートルズ45」のシングルは買っていたが。ビートルズの音楽に親しんだ人たちにとっては、「ナイアガラ・トライアングルvol.2」はより趣味的な楽しみもできたかもしれないのだが、そういった知識などはほとんどないまま、純粋にとても良いポップスとして聴いたのもまたなかなか良かったのではないかと思っている。これは、たとえばフリッパーズ・ギター「カメラ・トーク」あたりを、アズテック・カメラもザ・スタイル・カウンシルもよく知らない状態で聴いたらどうだったのだろう、というような憧れにも通じるのかもしれない。

そして、杉真理の「Nobody」なのだが、「君の消えた街は Nobody’s here tonight」で、やはり高校で離れ離れになってしまう、片想いをしていた女子のこととガッツリ重ねながら聴いていたことはいうまでもない。そして、次の「ガールフレンド」なのだが、これもまた喪失についての楽曲なのである。竹内まりやに提供した曲のセルフカバーだということは、しばらく知らなかった。これももちろん件の彼女と重ね合わせて聴いていて、勝手に切ない気分に酔いしれていたものである。この曲の素晴らしいところは、「窓の中からは いつしか君が弾き出すピアノの哀しいメロディ」と歌われた後で、実際に本当に悲げなピアノの演奏が流れ、うっとりしていると再び「哀しいメロディ」と念を押すように歌われるところなどである。

そして、「ナイアガラ・トライアングルvol.2」のA面最後に収録されたのが、これも杉真理の「夢見る渚」である。このアルバムに収録された杉真理の曲の中では、唯一悲しくはない曲である。大滝詠一「A LONG VACATION」、そして、この年の1月21日にリリースされた山下達郎「FOR YOU」と、後にシティ・ポップの名盤といわれるわけだが、いずれもリゾート的な感覚もひじょうに強く、海辺にとても似合っている。それで、「夢見る渚」という曲はその流れにもあるのだが、「渚のカセットは くり返す いつも LONG VACATION」と歌われていたりもする。

「ヘッドホーン聞いてた君の 大声の返事に笑ったよ」は、ヘッドフォンで大音量で音楽を聴いている時に話しかけられ、加減がよく分からなくなって大声で応えてしまうということであるのだが、旭川の平和通買物公園にあったミュージックショップ国原には、試聴機がわりのウォークマンのようなものが設置されていて、それで試聴をしている友人に話しかけると大声で返されるということがまあまああった。

B面1曲目も杉真理で「Love Her」なのだが、やはり大切な人を失ってしまったという悲しくて切ない内容であり、しつこいぐらいに書いているのだが、中学校を卒業するまでずっと好きだった女子のことを思い浮かべて聴いていた。いや、本当にしつこい。そして、B面の2曲目は佐野元春で「週末の恋人たち」なのだが、これもまた都会の気ままな生活ものであり、背伸び感覚で憧れて聴いていた。「ちょっとしたあの娘のMotionにいかれてるのさ」「このまま眠ってしまうのは 何かもったいない気がするよ」あたりが特にグッとくるフレーズではあるのだが、この曲を聴いて思い出すのが早くも高校に入学してから好きになった同じクラスのオフコースが好きな女子なのだから、いい加減にも程があるというものである。「求人広告片手に 仕事をみつけにいこう」とはじまるのだが、その仕事というのが生活のためというよりは、恋人にバースデー・プレゼントを買うためだというのが当時の気分にマッチしていたような気もする。

そして、「オリーブの午后」「白い港」「Water Color」「ハートじかけのオレンジ」と、大滝詠一の曲が怒涛のように4曲続いてアルバムは終わるのだが、さすがの貫禄という感じではあった。松田聖子が1981年10月21日(ナイアガラ・トライアングル「A面で恋をして」と同じ日)に発売したアルバム「風立ちぬ」のA面収録曲すべてを大滝詠一が作曲・編曲していたのだが、それらは「A LONG VACATION」収録曲と対になっていたといわれている。具体的には、「冬の妖精」が「君は天然色」、「ガラスの入江」が「雨のウェンズデイ」、「一千一秒物語」が「恋するカレン」、「いちご畑でつかまえて」が「FUN×4」、「風立ちぬ」が「カナリア諸島にて」である。そして、これがさらに「ナイアガラ・トライアングルvol.2」収録曲と対になっている。「オリーブの午后」は「風立ちぬ」、「白い港」は「一千一秒物語」、「Water Color」は「ガラスの入江」、「ハートじかけのオレンジ」は「いちご畑でつかまえて」である。

「白い港」で「スーツケースくらい自分で持つと 君はいつも強い女だったね」というフレーズがあり、切ない大人の別れを描いているのだが、無神経で無邪気な高校生男子たちはクラスの見た目が屈強な女子の名前をここに入れて「強い女だったね」と歌うしょうもなさを発揮していたことが思い出される。あと、「優しさを破く」というフレーズがあるのだが、「破る」ではなく「破く」なのがとても良いなと感じたりもしていた。

「Water Color」は「Rain 雨が Rain 好きさ」」などと歌われるのだが、絵の具がついた筆を透明な水差しにつけると水の中に溶けて広がっていく様が音楽になっているような印象を受けたりもした。「野球帰りの少年たちが街を走りぬけると もうじき夏さ」というのもとても良くて、スチャダラパー「サマージャム’95」でアイスを食べている子供たちに通じるものがある。「通りすぎるパレード」は個人的に留萌の港まつりにおけるそれを思い浮かべてしまうのだが、もちろんそれを意図してはつくられていない。

このアルバムに中学校から高校に進学するタイミングで、趣味的なポップアルバムではなく、旬のヒット作として出会ったことは偶然の運命であり、特に選んだわけではもちろんまったくないわけだが、これはなかなか良かったのではないかとなんとなく感じたりはする。そして、2022年で発売40周年という事実にいろいろと思ったり思わなかったりはするわけではあるが、きわめて個人的な記憶の記録のようんなことをとりあえずやっておこうと思ったわけである。