RCサクセション「BEAT POPS」について。

RCサクセションの6作目のアルバム「BEAT POPS」は、1982年10月25日に発売された。オリコン週間アルバムランキングでの最高位は2位で、1988年の夏に「カバーズ」が1位になるまでは、RCサクセションのアルバムで最も高い順位まで上がった作品であった。

RCサクセションの前身であったバンド、ザ・クローバーは中学校の同級生であった忌野清志郎、小林和生、破廉ケンチによって1966年に結成された。翌年にザ・クローバーは解散し、忌野清志郎と小林和生は新たなメンバーを迎えて、リメインダーズ・オブ・ザ・クローバーを結成した。ザ・クローバーの残りというような意味だろうか。

しかし、その後に破廉ケンチが再び参加して、リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー・サクセションが結成された。ザ・クローバーに残った人たちによる継続、とでもいうような意味だろうか。このバンド名の途中までを略してRCサクセションとなったようだ。

バンド名の由来についてはインタビューなどでもよく聞かれていたのだが、バンドを「ある日作成しよう」がRCサクセションになったとか、忌野清志郎が眠れない夜に頭の中で動物の数を数えていたところ、赤いワニが続々と出てくるイメージが湧いてきて、これを英語にするとレッド・クロコダイル・サクセションになり、省略するとRCサクセションだともいわれていた。まったくの余談だが、小学生などが学校の帰りや一旦帰宅してから出かけた時などに駄菓子などを買い食いする商店というのがかつてはたくさんあり、そこに「RC」と書かれた看板があった。あれはローヤルクラウンコーラのロゴであり、RCサクセションとはおそらく関係がない。

それはそうとして、初期のRCサクセションはフォークソングのような音楽をやっていた。とはいえ、いわゆる四畳半フォークのようなものではなく、わりと批評性が高いものであった。「ぼくの好きな先生」がヒットしたりもするのだが、マネージャーの独立騒動のあおりを受けて、所属事務所から仕事を干されるなどの不幸も経験していた。

その過程で破廉ケンチが精神的にまいってしまい、最終的に脱退するということにもなった。事務所とレーベルを移籍した後、古井戸のギタリストであった仲井戸麗市らをサポートメンバーに迎えるなどして、ロックバンド的なサウンドに変化していく。ライブを精力的に行っていく中で、次第にファンが増えていき、メディアに取り上げられることも多くなっていったようだ。

当時、中学生だった私がRCサクセションのことを知ったのはおそらく1980年ぐらいのことで、「オリコン全国ヒット速報」によってだったような気がする。シングル「ボスしけてるぜ」が社長に給料のアップをせがむ内容の曲だったため、ビジネス街の有線放送では放送禁止になっているとか、音楽評論家の吉見佑子が中心になって、廃盤になっていたアルバム「シングル・マン」の再発を求める運動が起こったとかそういった内容だったと思う。

楽曲の魅力もさることながら、特に忌野清志郎の奇抜なメイクやファッションが目を引き、一気に注目度が高まっていった。「ビックリハウス」「宝島」といった当時のサブカル少年少女に人気の雑誌でも、YMOことイエロー・マジック・オーケストラと並んでよく取り上げられていた。

1982年には春の化粧品のキャンペーンソングとして、忌野清志郎と坂本龍一がコラボレートしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」がリリースされ、オリコン週間シングルランキングで1位に輝く大ヒットとなった。さらにRCサクセションとしてはシングル「SUMMER TOUR」がバンドにとって初のトップ10ヒットとなり、「夜のヒットスタジオ」「ザ・ベストテン」といった人気テレビ番組にも出演していた。

80年代前半のライトでポップでカラフルな空気感にも、イメージとしてとてもハマっていたように思える。このような状況の中で発売されたのが、アルバム「BEAT POPS」であった。

タイトルやジャケットのアートワークも含め、実にポップでキャッチーである。しかし、B面にはかなり暗めの曲も収録されていて、これは忌野清志郎の当時の精神状態を反映したものだともいわれている。ヒットシングルの「SUMMER TOUR」はB面の1曲目に収録されているのだが、なぜかこの曲だけライブバージョンで、歌詞も少し変えられている。「ビキニスタイル No No Baby 抱きしめたい濡れたまま」が「ミニスカート No No Baby 抱きしめたいそのまま」に、といった感じである。

RCサクセションの音楽というのは、表面的なキャッチーさが魅力ではあるのだが、実際にはひじょうに暗い部分も持っていて、熱心なファンはむしろそこにハマっていたのではないかとも感じられる。このアルバムは偶然にもRCサクセションというバンドが表面的には勢いがあって絶好調ではあるのだが、忌野清志郎個人としてはなかなかヘヴィーな問題をかかえてもいた時期に制作されたことによって、その両面が表出する結果になっているような気がする。

その悩みや不安、怒りのようなものはあくまで忌野清志郎個人の立場から楽曲化されてはいるのだが、それらは多くの人々にも共感、共有されうるものでもあったように思える。

A面1曲目はシングル・カットもされた「つ・き・あ・い・た・い」で、いかにも忌野清志郎らしい皮肉の効いた楽曲になっている。「もしもオイラが偉くなったら 偉くない奴とはつきあいたくない」のだが、もしもその相手は「アレ」を持っていたら、差別はしないしぜひともつきあいたいという内容である。この「アレ」については様々な解釈が可能だと思う。そして、たまらなくキャッチーなコーラス部分での「つ・き・あ・い・た・い」の繰り返しは、まるでこの曲がよくあるラヴ・ソングなのではないかと錯覚させるレベルである。

続く「トラブル」はタイトルがあらわしているように、理不尽にもトラブルに巻き込まれた状態について歌われている。ブルーズは憂鬱や困難をテーマにすることによって、リスナーからの共感を得るが、RCサクセションの楽曲にはそのようなタイプのものも少なくはなく、これはそのうちの1つなのではないかと感じられる。

「こんなんなっちゃった」は一転して、実に無邪気な楽曲である。この曲は宮崎美子が出演したミノルタカメラのCMソングでもあった。CMに使われたバージョンでは忌野清志郎が「ミノルタX7」と商品名をしっかり歌っている。漫画を描くのが得意という設定は、忌野清志郎自身のことでもあると思われる。

「恐るべきジェネレーションの違い(Oh!, Ya!)」はかなり以前からあった曲だというが、このアルバムで初めて音源化された。タイトルに入っている「Oh!, Ya!」はアパートの大家にかかっていて、以前にエレキギターがうるさかったりしたために部屋を追い出された経験が反映していると思われる。リズムがなかなかおもしろい。

「エリーゼのために」は音頭を思い起こさせなくもないリズムが特徴的だったり、途中でベートーヴェン作曲の同名曲が引用されたり、「あの娘の好きな」アーティストの名前が次々と出てきたりするユニークな楽曲である(仲井戸麗市は「あの娘の嫌いな」アーティストとして歌われるのだが、それに対しては「なんでだ このやろ ねえ」と文句をいっている)。また、エレキギターが性的なメタファーとして用いられてもいる。

B面の1曲目は先ほども取り上げたように、ヒットシングル「SUMMER TOUR」からはじまるのだが、こちらはシングルとは異なるライブ・バージョンで収録されている。この後、RCサクセションのベスト・アルバムもいくつか発売されるのだが、しばらくの間、「SUMMER TOUR」はこのライブ・バージョンの方で収録されることが多かった。どのような理由だったかは定かではないのだが、確かにシングル・バージョンの方はキーボードの音が強調されているようにも感じられ、このアルバムにそのまま収録された場合に浮いてしまう可能性もあるような気もする。歌詞の一部が変更されていることから、これが問題だったのかもしれないのだが、実際のところはよく分からない。

「あの夏のGoGo」はレゲエをスピードアップしたようなユニークなリズムと、言葉遊び的な歌詞が印象的な曲である。この曲だけ作詞・作曲のクレジットが忌野清志郎、仲井戸麗市、G2、小林和生、新井田耕造とメンバー全員になっている。フレーズの最後を「り」で統一する歌詞がおもしろく、特に「心はまるでボーズ刈り」などという表現はなかなか出てくるものではないような気がする。タイトルの「GoGo」は「午後」にもかかっていると思われるが、「GoGo」としてはチャック・ベリー「ジョニー・B・グッド」が一瞬だけ引用されたりもしている。ちなみにRCサクセションはこの年の夏、横浜スタジアムで行われた「THE DAY OF R&B」というライブイベントにチャック・ベリーと共に出演し、当時はライブ・アルバムも発売されていた。

そして、とにかく暗い「ナイーナイ」「君を呼んだのに」である。曲の前にはひじょうに体調が悪そうな様子が効果音のように収録されていたり、ボーカルにもエフェクトがかけられ、不穏なムードが醸しだされている。「夢も希望もない何もない」「クスリを飲んで眠れ 副作用で起きて 何を見せびらかそう」といった、救いのないフレーズが続く。

アルバムの最後に収録されたのが、仲井戸麗市がリードボーカルを取る「ハイウェイのお月様」で、暗い気分を引きずらずに終わる。この曲はスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ「リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー」を思わせるところもあり、ファンの間で人気がわりと高い。