ダリル・ホール&ジョン・オーツ「フロム・A・トゥ・ONE」について。

ダリル・ホール&ジョン・オーツのベスト・アルバム「フロム・A・トゥ・ONE」がリリースされたのは、1983年10月18日であった。このアルバムの原題は「Rock’n Soul Part 1」であり、ブルー・アイド・ソウルと呼ばれる音楽をやっていたホール&オーツのベスト・アルバムには実に相応しいタイトルだと思われたのだが、1976年にリリースされたアルバム「Bigger Than Both Of Us」の邦題が「ロックン・ソウル」だったため、何か別のタイトルを考える必要が生じたのではないかと思われる。

それで、「from A to B」で「AからBまで」というのは、学校の英語の授業で習う構文の中でもわりとよく使われるもので、この意味については分かりやすかったと思うのだが、「フロム・A・トゥ・ONE」ということになると、「Aから1まで」ということになり、よく分からなくもなったりもする。

このアルバムがリリースされた時点で、ホール&オーツは80年代に入ってから最も多くの全米NO.1ヒットを持つアーティストであり、そういった意味でタイトルに「ONE」が入ったのだろうと思っていたのだが、実はこのアルバムはアナログレコードのSIDE ONEの裏面がSIDE TWOではなく、SIDE Aになっていたので、おそらくそこから取られたものだと思われる。

それでこのアルバムなのだが、全米アルバム・チャートでの最高位は7位であった。シングルのヒットは多いのだが、アルバムはそこまで爆発的に売れるアーティストでもないかというとそんなことはなく、1981年の「プライベート・アイズ」が5位、翌年の「H2O」が3位を記録していたりもする。しかも、「H2O」などはR&Bアルバム・チャートの方でもトップ10以内に入っていたのだからすごいことである。

Apple Musicのジャケットアートワークを見ると、イラストの背景が赤と黄と黒なのだが、当時、発売されていたレコードにはこれ以外のバリエーションもあったような気がする。実際に私が修学旅行の東京での自由行動の時間を利用して、オープンして間もない六本木WAVEで買ったレコードのジャケットには銀色や紫色も入っていたはずである。

ベスト・アルバムではあるのだが、まったくの新曲も2曲収録されていて、これらもシングル・カットされて後にヒットしたので、結果的にヒット曲ばかりが収録されたアルバムとなった。

アルバムの1曲目に収録された「セイ・イット・イズント・ソー」は新曲のうちの1曲で、10月28日付の全米シングル・チャートで30位に初登場した。当時の全米シングル・チャートでいきなりトップ40以内に初登場するようなことはなかなか珍しかったので、当時のホール&オーツの勢いというのはやはりすごかったのだということが分かる。

当時、高校生だった私は土曜の夜にアールエフ・ラジオ日本で放送されていた「全米トップ40」で最新の全米シングル・チャートをチェックしたりしなかったりしていたのだが、この曲が初登場した週にビルボードのチャートの表には「Say It Isn’t So」の「Isn’t」のところが「Isn’to」と表記されていたらしく、湯川れい子がこれには何か意味があるのだろうか、などと言っていたような気がするのだが、翌週のチャートでは「Isn’t」になっていたので、おそらく単なるタイプミスだったと思われる。

このことをなぜしっかり覚えているかというと、この頃、弟がマイコンを買って、私もなんだかさわってみたくなったのだが、何をすればいいかよく分からずに、とりあえず「全米トップ40」の最新チャートをキーボードで入力してみたからである。当時は個人用のコンピュータのことを現在のようにパソコンではなく、マイコンと呼んでいたような記憶があるのだが、松田聖子が出演していたヒットビットのCMを見返してみると、「聖子のパソコン」と言っていたりもするので、この頃にはすでにパソコンとも呼ばれていたようである。

それはそうとして、「セイ・イット・イズント・ソー」は初めて聴いた時からホール&オーツらしいキャッチーな楽曲である上にサウンドがややモダンにもなっていて、とても気に入っていた。間違いなくこれもまた全米NO.1になるのだろうなと確信していたのだが、ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン「SAY SAY SAY」に阻まれて2位止まりであった。全米シングル・チャートの1位と2位の曲のタイトルがいずれも「セイ」という単語からはじまるという、ひじょうに珍しい状態になっていた。ちなみに3位はライオネル・リッチー「オール・ナイト・ロング」だったり、デュラン・デュラン「ユニオン・オブ・ザ・スネイク」だったりした。

ポール・マッカートニーとマイケル・ジャクソンのデュエットといえば、これ以前にマイケル・ジャクソンのメガヒットアルバム「スリラー」から最初のシングルとしてカットされた「ガール・イズ・マイン」がある。この曲の全米シングル・チャートでの最高位は2位だったのだが、その時の1位がホール&オーツの「マンイーター」であった。

それが1983年1月8日付の全米シングル・チャートでのことであり、同じ年の最後のチャートとなる12月24日付では「SAY SAY SAY」が1位で「セイ・イット・イズント・ソー」が2位であった。つまり、1983年の全米シングル・チャートはホール&オーツとマイケル・ジャクソン、ポール・マッカートニーのデュエットではじまり、終わったということもできるような気がする(年間1位はポリス「見つめていたい」だったが)。

「フロム・A・トゥ・ONE」の2曲目以降は、新曲を除いてはほぼ発売順にヒット曲が収録されている。「微笑んでよサラ」「シーズ・ゴーン」「リッチ・ガール」などは80年代になってからホール&オーツのことを知ったファンにとってはリアルタイムでは知らない過去のヒット曲となるので、これらが一気に聴けるのにはかなりのお得感があった。80年代になってからのサウンドと比べるとよりブルー・アイド・ソウル感が強いというか、渋めでとても良かった。

そして、80年代になってから最初のNO.1ヒット「キッス・オン・マイ・リスト」、同じアルバムからシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高5位を記録した「ユー・メイク・マイ・ドリームス」に続き、1981年の秋にリリースされ、全米NO.1に輝いた「プライベート・アイズ」でSIDE ONE面が終わる。

SIDE Aは新曲で後にシングル・カットされ、全米シングル・チャートで最高8位を記録する「アダルト・エデュケイション」ではじまり、「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」「マンイーター」「ワン・オン・ワン」と続いて、最後が「ウェイト・フォー・ミー」のライブ・バージョンで終わる。後にCDで再発された際にはこれに「ファミリー・マン」「ふられた気持」が追加され、計14曲となっていた。Apple Musicにあるこのアルバムもこれと同じ曲目になっているのだが、「シーズ・ゴーン」だけは聴くことができない。

1981年の秋、ホール&オーツの「プライベート・アイズ」に替わって全米シングル・チャートの1位になったのがオリヴィア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」だったが、これが当時としては最長タイとなる10週連続を記録することになる。歴代最長となる11週目を阻んだのは、ホール&オーツの次のシングル「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」である。この間、フォリナー「ガール・ライク・ユー」は10週連続2位だったのだが、結局、1位には上がれなかった。それでも、1985年には「アイ・ウォナ・ノウ」が1位になったので良かった。

当時のホール&オーツの音楽はひじょうにキャッチーで聴きやすいこともあって、日本の中高生の間でもわりと人気があったような気がする。ダリル・ホールのルックスや声質などにも、とても受け入れられやすいところがあった。もちろんジョン・オーツのソウルフルなボーカルや、キャラクターとしての魅力もひじょうに重要である。

高校2年にもかかわらず朝刊に折り込まれてくる紳士服店のチラシに掲載されているモデルのような風体をしていたことから、「チラシ」というシンプルかつ不当なニックネームをおそらく私から付けられていた友人が当時いたのだが、彼は松本伊代のファンクラブに入り、確か1万円ぐらいしたと思うライブビデオを買ったりもしていたので素晴らしい人物だった。その彼もホール&オーツをとても気に入っていて、「声が良いよな」としきりに言っていたことが思い出される。

ホール&オーツはこの翌年にアルバム「BIG BAM BOOM」をリリースし、先行シングルの「アウト・オブ・タッチ」がまたしても全米シングル・チャートで1位を記録する。80年代に入ってから「キッス・オン・マイ・リスト」「プライベート・アイズ」「アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット」「マンイーター」に続き5曲目であり、この時点では他のどのアーティストよりも多かったのだが、これが最後のNO.1ヒットになった。この年にはブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」が大ヒットして、プリンスが「パープル・レイン」で大ブレイクを果たし、マドンナが「ライク・ア・ヴァージン」でポップ・アイコン化しようとしていた。

「アウト・オブ・タッチ」も収録されていた方が、ヒット曲満載のベスト・アルバム感は出ていたようにも思えるのだが、この頃になるとサウンドがさらにモダンになってきていて、ホール&オーツの曲がヒット・チャートを賑わせていた頃の感じとはちょっと違ってきてもいた。それで、結果論めいたところもあるにはあるのだが、この曲が入っていない「フロム・A・トゥ・ONE」の方がよりホール&オーツが全米シングル・チャートにおいて無双状態だった頃の気分を象徴しているような気がする。

よくある歴代ベスト・アルバム的な企画のリストにホール&オーツのアルバムが入っているのをほとんど見たことがないのだが、80年代前半の全米シングル・チャートにおいてひじょうに重要なアーティストであり、当時のポップスファンの心のサウンドトラックとして機能していた曲がいくつもあるのではないかと思われる。「プライベート・アイズ」「H2O」などアルバムとしても素晴らしいのだが、ザ・ジャムならば「スナップ!」、バズコックスならば「シングルズ・ゴーイング・ステディ」といったベスト・アルバムを選んでしまうのと同じような理由で、ホール&オーツで最も重要なアルバムといえば、この「フロム・A・トゥ・ONE」なのではないかというような気がするのだ。