旭川の平和通買物公園にあるファッションビルオクノがどうやら閉店してしまうらしいことについて。

早朝から飼い猫がベランダに出たがって行き来するのはいつものことで、そのうちiPhoneの目覚ましアラームが鳴ったので仕方なく起きたのだが、TwitterにDMが届いていて、旭川の平和通買物公園にあるファッションビルオクノが2025年にも閉館してしまうことを知らせてくれた。記憶ではファッションプラザオクノと呼んでいたような気がするのだが、現在はファッションビルオクノと呼ぶことになっているのだろうか。

いずれにしてもこのオクノというのは、旭川駅を出てからずっと真っ直ぐ続いている平和通買物公園のわりと奥の方に位置している。かつては西武百貨店、長崎屋、丸井今井、マルカツデパート、まるせんデパートなどがあり、さらにその奥にオクノがあったのだが、いまやそのほとんどが無くなってしまい、残っていたマルカツデパートの閉館も少し前に発表されたばかりであった。ここ数年でいうと、旭川の平和通買物公園とは離れていたのだが、イトーヨーカドーも閉館し、平和通買物公園のオクノよりも少し奥にあって良い味を出していた玩具店、おもちゃのたもちゃんも閉店した。

かつて小学生や中学生や高校生として過ごしていた頃の旭川の面影がどんどん無くなっていくのだが、40年も経つのだから仕方がないことである。2010年代の初めに旭川駅が大幅にリニューアルされた時にも、なんだか寂しく感じたりはしていたのだが、UHBこと北海道文化放送のホームページでニュース動画を視聴すると、地元の人たちはモダンになって良いなどと歓迎ムードでもあったので、おそらくそんなものなのだろうというような気もした。それ以前に、豊岡にあった市民生協だとかおもちゃのポパイがもうとっくに無い時点で、記憶の中の旭川はすでに過去のものになり果てているわけである(豊岡8条1丁目にあった太陽堂書店も)。

とはいえ、オクノはファッションビルというぐらいなので、衣類を主に扱っていて、本とレコードにしかほとんど興味がなかった私は、地上階を利用することがほとんど無かった。たまには意味もなくエスカレーターで上の階まで上がったりもしたのだが、同学年の他のクラスで松本伊代に似ているなどといわれて持て囃されているのだが、個人的にはまったく似ていると思えない女子生徒が友人とキャッキャ騒ぎながら、サービス券がどうとかいうことを話しているのを見たことだけをなぜかよく覚えている。

地下にはレコード店の玉光堂と店名は忘れたのだが、わりと広めの書店が入っていて、つまり個人的にはパラダイスだったのだが、土曜日の放課後に「ガロ」に連載されているタイプの蛭子能収とか根本敬とかの、いわゆるヘタウマなどと呼ばれている漫画を立ち読みしたりした。玉光堂では所ジョージのデビューアルバム「現金に手を出せ」を小学生の頃に買ってもらい、部屋でよく聴いていたのだが、母が入ってきた時にちょうど、ちり紙はトイレットペーパーより明らかに見るからに広い、というような曲がかかっていて、こんなふざけたやつではなく、もっと普通のレコードを買いなさい、などといわれて悲しい気分になった。

1980年の初夏に妹が通うひまわり幼稚園の運動会に行ったのだが、途中で完全に退屈してきたため、家に帰って水風呂を浴びた後、自転車で平和通買物公園まで行き、オクノの地下の玉光堂でビリー・ジョエル「ニューヨーク52番街」の輸入盤と倉田まり子「ストーミー・ウェザー」のもちろん国内盤を買った。CBSソニーの宣伝用と思われる紙袋に入れてくれて、それにはビリー・ジョエル「グラス・ハウス」やボズ・スキャッグス「ミドル・マン」などのジャケット写真が印刷されていたような気がする。

高校生の頃に学校祭などが終わると打ち上げというのがあるのだが、待ち合わせ場所はオクノの入口の時計の下であった。いつもは制服姿でしか見ることのない女子や男子がもちろん私服で来るので楽しかったのだが、個人的に好きなタイプの女子はこういうのにはかったるくて来ることがなく、デュラン・デュランなどがかかるディスコで踊りながら、大学生から声をかけられるのを待っていたはずである。

このような本当にどうでもよい記憶の数々も、やがて誰からも忘れられてしまうわけだが、何らかの必要性のようなものに迫られているかのように記録しているわけである。