フォンテインズD.C.(Fontaines D.C.)「Skinty Fia」

アイルランドのインディー・ロック・バンド、フォンテインズD.C.による3作目のアルバム「Skinty Fia」が、2022年2月23日にリリースされた。フォンテインズD.C.は現役の若手インディー・ロック・バンドの中ではひじょうに人気が高いうちの1組で、先の2作のアルバム「Dogrel」「A Hero’s Death」も高評価を得たのみならず、全英アルバム・チャートでそれぞれ最高9位、2位のヒットを記録している。そして、約1年9ヶ月ぶりとなる今作も順当に注目をあつめていたわけだが、聴いてみたところ、どうやらそんな期待を大きく超える進化と深化を見せた、素晴らしいインディー・ロック・アルバムになっているようである。

ロックの時代はもう終わったとか、いや実はまだ終わっていなかった、というようなことを、ポップ・ミュージックの歴史は何度か繰り返しているわけだが、たとえばメインストリームに再びなりうるかというと、おそらく可能性はあるのではないかと思える。とはいえ、フォンテインズD.C.の音楽は広義でロックに分類されるとは思うのだが、参照点としてはポスト・パンクとかニュー・ウェイヴであろう。だから、そのポスト・パンクとかニュー・ウェイヴというのがそもそもロックのサブジャンルなのではないかという話は当然あるのであり、確かにその通りではあるのだが、かつて「ロックでなければなんでもいい」というようなことを言っていたポスト・パンクのアーティストもいたといわれていて、それには共感することしきりだった、というような思い出もある。

つまり、実はどうでもいいのだが、かつて形骸化してエキサイティングではなくなったロックに対してのアンチテーゼとしてパンク・ロックが盛り上がったのだと、ポップ・ミュージック史で習ったものだが、ポスト・パンクとかニュー・ウェイヴというのもそこから派生したものであり、いわゆるロックではないということができた。ヒップホップが流行りはじめた頃、ソウルやR&Bよりもポスト・パンクやニュー・ウェイヴのファンの人たちの方がわりと早めに反応していたということが、少なくとも個人的な記憶の範囲ではあったようにも思えるのだが、これもおそらく同じような理由によるものだと思える。

フォンテインズD.C.のこれまでの音楽というのは、確かにポスト・パンクとかニュー・ウェイヴから影響を受けたようなものであったため、それらをかつて好んで聴いていたり、いま現在も特に卒業したわけではないような人たちにもとても分かりやすく、親しみが持てた。しかし、特に若手バンドやアーティストというのは、やはり同世代の人たちに受けた方が良いというか、ほとんどそれが全てでも良いのではないかと個人的には考えていて、だからこそそういうノスタルジー的な受け方というのはおそらく本筋ではないのである。

ところで、オルタナティヴ・ポップとかヒップホップのような音楽がメインストリームで、ロックはすでにそうではないというようなことが、また何度目かにいわれていたとして、おそらくナウなヤングはどちらが古くて新しいとかはそれほど関係がなく、良いものは良いし、そうでもないものはどうでも良い、というような反応をするのではないかと考えられる。その結果、受けるものもあればそうではないものもあるのは必然であり、そこがおもしろいのではないかという話もある。それで、やっとこの「Skinty Fia」なのだが、ポスト・パンクでニュー・ウェイヴ的な音楽なのにもかかわらず、ジャケットに描かれたタイトルのフォントがまるでヘヴィー・メタルのレコードのようである。そして、室内にいるシカのような動物が描かれている。インディー・ロックらしくないところに、ひじょうに好感が持てる。

最近のインタヴューで、フォンテインズD.C.のメンバーは、ギターを主体としたロックを聴く機会がひじょうに減っているというような話をしていて、これを読んでひじょうに期待をしたのだが、このアルバムに収録された音楽は、基本的にはインディー・ロックである。急に打ち込みになったり、R&Bの要素が入ったりしているわけではない。しかし、インディー・ロックのためのインディー・ロックではないというか、ポップ・ミュージックをつくろうとして、方法論がたまたまインディー・ロックだったという印象の方が強い。これまでも個人的にわりと好きなタイプの音楽をやるバンドだとは思っていたのだが、ここまでしっくりきたのは初めてであり、正直こんなにも深まるものかと驚かされたりもしているわけである。かつてのポスト・パンクやニュー・ウェイヴが同時代のディスコ・ミュージックなどとポップ・ミュージックとしての強度において拮抗していたのと同じく、これは今日のポップ・ミュージックとして普通にかなり良いのではないかと、素直に感じられ、しかもそれがちゃんとインディー・ロックであるところが素晴らしい。というような理由づけはまったくどうでも良く、ただ純粋にとても良いな、と反応することがおそらくは正しい。

アイルランドのダブリン出身のバンドではあるのだが、いまやメンバーは1人を除いてイギリスで暮らしているらしい。だからこそ、よりアイルランド出身であることのアイデンティティーが強烈に認識されるようになったともいえるかもしれず、それが元々の資質であった文学性とも合わさり、ザ・スミスだとかそれよりももっと後の、マッドチェスターとブリットポップの間ぐらいのメインストリームから見ると最も低迷していた頃のイギリスのインディー・ロックの、ポップ・ミュージック史から忘れ去られた良さのようなものを継承しているようにも思える。曲のタイトルになっている「Bloomsday」とはジェイムス・ジョイス関連のアイルランド人にとっての記念日なのだが、こういうところがとても良いと思うのだ。

アルバムの1曲目の時点から、音楽的にはインディー・ロックなのだが、いかにも分かりやすい感じではなく、なんとなく引っかかりを残すものとなっている。そして、次の「Big Shot」で思っていたよりも深くえぐってくるというのか、これはいままで以上に本格的にポスト・パンク的になっていてるのではないかと強く感じさせる。「Jackie Down the Line」はこういった方向性の音楽でありながら、「Do do do」「La la la」ととてもキャッチーなのがとても良く、後半なども「Ooh sha-la」などという親しみやすいコーラスがありつつも、ポスト・パンクでニュー・ウェイヴ的な感じ保たれている。タイトルトラックである「Skinty Fia」には打ち込み的な要素もあるが、あくまでポスト・パンク的な用いられ方をしていて、じゅうぶんに刺激てきである。そして、「I Love You」というこれ以上にないキャッチーなタイトルを持つ曲は、やはりインディー・ロックであるのだが、「I love you/I love you/I told you I do」と、まるで甘いラヴソングでもあるのだが、実際には社会問題やそれによる生きることのしんどさのようなものに言及されていて、それは個人のラヴソング的な感情とけして無関係ではないというか、すべてはつながっているのだという、とても真っ当なことを1曲の中で表現した素晴らしい楽曲になっている。

とにかく、勢いのある注目のインディー・ロック・バンドの最新アルバムとしてもかなり上出来であるばかりか、リアルタイムなポップ・ミュージックとしてもかなりの強度を有していてるのがとてもすごい。これまでの感じからして、おそらくそこそこ良いアルバムになっているのではないかと思ってはいたのだが、実際にはかなり良いアルバムになっていたというのが正直なところであり、かつてポスト・パンクやニュー・ウェイヴがとても好きだったのだが、近頃の若手バンドやアーティストにはあまり感じるものがない、というようなタイプのリスナーにも楽しめるのではないかと感じられる。