ダイアナ・ロスの名曲ベスト10

ダイアナ・ロスは1944年3月26日にミシガン州デトロイトで生まれ、60年代にはガールグループ、シュープリームスのリードボーカリストとして実に12曲もの全米NO.1をはじめ数々のヒット曲を世に送り出し、1970年以降はソロシンガー、女優、TVスペシャルの司会など、様々な分野で大活躍し、エンターテインメント界の伝説となっているアーティストである。今回はその代表曲の中から、特にこれは名曲なのではないかと思える10曲を厳選してあげていきたい。

10. Touch Me In The Morning – Diana Ross (1973)

ダイアナ・ロスがソロシンガーに転向してから、2曲目の全米NO.1ヒットソングである。「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」というタイトルからして大人の恋を歌っているようであり、バラードではじまり途中からテンポが上がっていく構成もとても良い。実際には別れをテーマにした曲であり、朝であればお別れしやすいから、私にふれて去っていって、というようなことが歌われている。

ちなみにこの曲がヒットしていた頃、個人的には小さな子供だったのだが、この曲のアップテンポの部分をテレビのCMか何かで聴いたことがあるような気がうっすらとしている。この数年後にヒットした「マホガニーのテーマ」は、おそらくコーヒーのテレビCMで聴いたことがある。「Do you know~♪」などと歌われるところである。

この曲が全米シングル・チャートで1位に輝いたのは1973年8月18日付においてで、リアルタイムで洋楽を主体的に聴いてはいなかったので、感覚がよくつかめないのだが、同じ週の2位がウイングス「007 死ぬのは奴らだ」で、5位にはマーヴィン・ゲイ「レッツ・ゲット・イット・オン」が上がってきていたりもするので、なるほどそういう時代かと想像できるようなしないでもない。カーペンターズ「イエスタデイ・ワンス・モア」なども、この少し前には2位まで上がっていたようだ。

9. Love Hangover – Diana Ross (1976)

ダイアナ・ロスのソロアーティストとしては6作目のアルバム「時の流れに(原題:Diana Ross)」からシングルカットされ、全米シングル・チャートで1位に輝いた。「ハングオーヴァー」とはつまり「二日酔い」の意味であり、「愛の二日酔い」を意味するタイトルがまずはとても良い。ダイアナ・ロスのセンシュアルでセクシーなボーカルの魅力がフルに生かされているのだが、途中からディスコポップ化する展開もかなり楽しい。

この曲が初めて1位になった1976年5月29日付の全米シングル・チャートで2位だったのは、またしてもウイングスの「心のラヴ・ソング」で、この前の週には1位であった。ディスコ的なポップスは流行りはじめてはいたのだが、社会現象的な一大ブームになっていくのは映画「サタデー・ナイト・フィーバー」とそのサウンドトラックが大ヒットしたこの翌年あたりからだろうか。

8. You Keep Me Hangin’ On – The Supremes (1966)

ダイアナ・ロスがリードボーカルを務めていたガールグループをカタカナで表記する場合、シュープリームスなのかスプリームスなのか問題というのがあり、ある時期まではシュープリームスと表記されていたのだが、実はスプリームスが正しいとなったのかと思いきや、ユニバーサル・ミュージック・ジャパンの公式サイトではシュープリームスになっていたりもする。単数形で同じつづりのファッションブランドはシュプリームで、米米CLUBのバックコーラスをやっていたグループはシュークリームシュである。

それはそうとして、全米NO.1ヒットだけで12曲もあり、それ以外にもポップ・ミュージック史に残る素晴らしい曲がたくさんあるわけであり、ダイアナ・ロスで10曲を厳選ならばソロ曲とは分けて考えた方が良いのではないかという気がしなくもないのだが、そこを思い切ってやってしまうワイルドさの方を体感してみたかったのでこっちである。それで、この曲はモータウンの人気ソングライターチーム、ホーランド=ドジャー=ホーランドによる楽曲で、全米シングル・チャートでは8曲目の1位に輝いている。同じ週の2位はビーチ・ボーイズ「グッド・バイブレーション」であった。

モールス信号を思わせもするイントロ(ピンク・レディー「SOS」に影響をあたえたかどうかは定かではない)に続き、それまでの楽曲に比べ、よりファンキーな曲調が特徴的である。この後、ロックバンドのヴァニラ・ファッジがカバーして全米シングル・チャートで最高6位、80年代にはポップシンガーのキム・ワイルドによるバージョンで再び1位に輝いている。ピンク・レディーもカバーしていて、実はアメリカでシングルとしてリリースされるという話もあったようだ。

7. Upside Down – Diana Ross (1980)

1980年のアルバム「ダイアナ」から先行シングルとしてリリースされ、全米シングル・チャートでクリストファー・クロス「セイリング」を抜いて、4週連続1位に輝いた。そのため、日本の女子大生に人気があったと都市伝説的に把握しているエア・サプライ「オール・アウト・オブ・ラヴ」は最高2位に終わり、この次の1位はクイーン「地獄に道づれ」だったようだ。

ディスコブームといえばビージーズがサウンドトラックを手がけた「サタデー・ナイト・フィーバー」によって爆発した印象が強く、他に大活躍したアーティストといえば、シック、ドナ・サマー、アース・ウインド&ファイアーなどがいる。シックの「おしゃれフリーク」などは地方の商店街でも耳にすることがあった。そして、ダイアナ・ロスの「ダイアナ」はシックのナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズによってプロデュースされていて、ディスコクラシックとしても知られるようになるこの曲はブームにも乗りまくって大ヒットしたといえる。

6. Baby Love – The Supremes (1964)

それで、ここでは結局はこっちの方でいくことにしたシュープリームスの2曲目の全米NO.1ヒットである。初めて1位になった1964年10月31日付の全米シングル・チャートでは2位がマンフレッド・マン「ドゥ・ワ・ディディ・ディディ」で、マーサ&ザ・ヴァンデラス「ダンシング・イン・ザ・ストリート」が先週の2位から5位にダウンしている。

ポップでキャッチーなラヴソングであり、タイトルにもなっているが「ベイビー・ラヴ」という歌い出しからはじまる甘いボーカルがたまらなく良い。個人的には80年代の半ばに池袋のビックカメラで生まれてはじめてウォークマンを買った時に、何かカセットテープを買おうと思って西武百貨店のディスクポートでモータウンのNO.1ヒットばかりを集めたコンピレーションを選んで、それで初めて聴いてすぐに気に入った。

5. Where Did Our Love Go – The Supremes (1964)

そして、カタカナではスプリームスと表記されることもあるシュープリームスの初の全米NO.1ヒットが、「愛はどこへ行ったの」の邦題でも知られるこの曲である。これもまたホーランド=ドジャー=ホーランドによる楽曲なのだが、当初は「プリーズ・ミスター・ポストマン」のヒットで知られるマーヴェレッツのグラディス・ホートンのためにつくられたようなのだが、あっさり却下されたらしい。それで、当時はまだヒット曲がなかったシュープリームスに持ち込まれ、レコーディングされるのだが、ダイアナ・ロスなどはキーが合わずにかなり不機嫌だったともいわれる。しかし、仕上がりはなかなか良く、リリースしてみたところ全米シングル・チャートで1位に輝き、ここから伝説がはじまるのであった。

4. Ain’t No Mountain High Enough – Diana Ross (1970)

ダイアナ・ロスのソロシンガーとして初の全米NO.1シングルである。80年代に「ソリッド」をヒットさせた夫婦デュオ、アシュフォード&シンプソンがソングライターチームとして提供した曲で、まずはマーヴィン・ゲイとタミ・テレルのデュエット曲としてリリースされ、全米シングル・チャートで最高19位を記録している。ひじょうにスケールが大きくエモーショナルなラヴソングであり、デュエットに相応しいということができる。ダイアナ・ロス&シュープリームスもテンプテーションズとのデュエットアルバムで、1968年にこの曲をカバーしている(シュープリームスは1967年のある時期から、アーティスト名をダイアナ・ロス&シュープリームスとしていた)。

その後、ダイアナ・ロスはこの曲をソロで再レコーディングし、アルバム「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ(原題:Diana Ross)」からシングルカットすると、全米シングル・チャートでエドウィン・スター「黒い戦争」を抜いて1位に輝いたのであった。ダイアナ・ロスはその後、マーヴィン・ゲイとデュエットアルバム「ダイアナ&マーヴィン」をリリースしたりもしている。80年代にマーヴィン・ゲイが亡くなった後には追悼する内容である「ミッシング・ユー」をリリースし、全米シングル・チャートで最高10位を記録している。この曲をつくったのはライオネル・リッチーだが、ダイアナ・ロスとは1981年にデュエットした「エンドレス・ラヴ」で9週連続1位を記録している。

3. You Can’t Hurry Love – The Supremes (1966)

「恋はあせらず」の邦題で知られるシュープリームスの1966年のヒット曲で、全米シングル・チャートで1位に輝いている。全英シングル・チャートでの最高位は3位だったが、80年代にはフィル・コリンズのカバーバージョンが1位を記録している。ちなみにイギリスのヒット曲満載のコンピレーションアルバムといえば「Now That’s What I Call Music」だが、1983年にリリースされたシリーズ第1弾の1曲目は、フィル・コリンズによるこの曲のカバーバージョンである。

それはそうとして、いわゆるモータウンビートと呼ばれるものの典型例のような楽曲でもある。フィル・コリンズのカバーがヒットした1983年前後にはいわゆるモータウンビートを導入したヒット曲がやたらと多く、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「マンイーター」、ビリー・ジョエル「あの娘にアタック」、日本では原由子「恋は、ご多忙申し上げます」などがそれにあたる。ママが娘に恋のアドバイスをするという内容もとても良い。

2. Stop! In The Name Of Love – The Supremes (1965)

シュープリームスによる、これも1960年代の全米NO.1ヒットである。1965年3月27日付のチャートで、ビートルズ「エイト・デイズ・ア・ウィーク」を抜いて1位になっている。ダイアナ・ロスが21歳の誕生日を迎えた翌日ということになる。

テレビなどでのパフォーマンスでは、「ストップ!」と歌うところで右手を前に出して「止まれ」のポーズをする振り付けがあり、ガールグループらしくてとても良い。「やめて!愛の名のもとに」的なタイトルからは様々な想像がふくらんだりもするわけだが、実際には浮気をしていると思われる恋人を咎める内容となっている。

モータウン的な曲がリバイバルしているような感じもあった1983年に、ホリーズがこの曲をカバーして全米シングル・チャートで最高29位を記録していた。日本では2001年にglobeがカバーして、オリコン週間シングルランキングで最高7位を記録している。

1. I’m Coming Out – Diana Ross (1980)

これまで挙げてきた9曲はすべて全米シングル・チャートで1位に輝いているのだが、何せシュープリームス時代だけで12曲もの全米NO.1ヒットがあるわけであり、それだけで10曲を埋めることも容易ではあるのだが、「ダイアナ・ロスの名曲ベスト10」の1位として挙げたこの曲の全米シングル・チャートでの最高位は5位である。何らかの効果を狙ってわざとこうしたのではないかと勘ぐられても仕方がないのだが、そんなことはまったくなくて、純粋に選んだ結果がこうなってしまった。

「アップサイド・ダウン」と同じく、アルバム「ダイアナ」収録曲で、シックのナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズがプロデュースしている。タイトルに入っている「カミングアウト」には、今日では性的志向などを表明するという意味でも知られ、それゆえにこの曲がLGBTQアンセム的にも捉えられているわけだが、当時、ダイアナ・ロスはそういった意図はまったくない状態でこの曲を歌っていたようだ。大衆の受け止め方によって意味合いが変わっていくというところが、いかにもポップミュージックという感じでとても良いのだが、それ以前にダンスポップとしてひじょうに優れているし、全米NO.1にはなっていないものの、ダイアナ・ロスの楽曲の中でやはりこの曲が最も今日的にも名曲に相応しいのではないかというような気がする。