コーナーショップ「ボーン・フォー・ザ・セヴンス・タイム」について。

1997年といえばイギリスのインディー・ロック界においては、レディオヘッド「OKコンピューター」、ザ・ヴァーヴ「アーバン・ヒムス」、スピリチュアライズド「宇宙遊泳」の年という印象が強く、これ以外では年のわりと早い時期にリリースされたブラー「ブラー」はアメリカのオルタナティヴ・ロックから影響を受けたややダウナーな内容で、この前の年にブリットポップ・ムーヴメントのピークだったのではないかと振り返られがちなネブワース公演を成功させたオアシスは3作目のアルバム「ビィ・ヒア・ナウ」をリリースし、かなり売れはするのだがクオリティーと評価はキャリア中最悪といえるようなものであった。コーナーショップの3作目のアルバム「ボーン・フォー・ザ・セヴンス・タイム」はそんな年の9月8日にリリースされた。

コーナーショップはインド系イギリス人であるティジンダー・シンを中心とするインディー・ロック・バンドであり、マルチカルチュラル的な音楽性が大きな魅力であった。初期においてはよりパンク・ロック的であり、90年代前半にはレイシスト的な発言も見られたモリッシーの写真をEMIの本社前で燃やすなどのパフォーマンスや、楽曲(「イングランズ・ドリーミング」)においてもザ・スミス「ヘヴン・ノウズ」の一部を皮肉っぽく引用した後で「ファイト・ザ・パワー」とシャウトするなど、カウンターなアティテュードが感じられて個人的にもかなり好きだった。その後、ヒップホップやインド音楽の要素を取り入れるようになったり、デヴィッド・バーンに見いだされるなどして、少しずつ評価を高めていった。

イギリスではブリットポップが大いに盛り上がっていたのだが、そこにはどこかナショナリズム的な要素も漂っていて、コーナーショップはイギリスのバンドにもかかわらずその文脈では取り上げられていなかったような印象がある。「ボーン・フォー・ザ・セヴンス・タイムス」からは「ブリムフル・オブ・アーシャ」が先行シングルとしてリリースされ、これはレトロ的でもある良い感じのポップソングであった。

インド映画には歌や踊りがフィーチャーされている場合が多いのだが、バックアップ・シンガーといって映画で使われる歌を歌うための歌手がいて、役者は口パクをしている場合がほとんどなのだという。「ブリムフル・オブ・アーシャ」のタイトルにも引用されているアーシャ・ボスレーはそんなバックアップ・シンガーの一人らしく、レコーディングした楽曲は何万曲にも及ぶらしい。「Brimful of Aha on the 45」と曲では歌われているのだが、ここでいう「45」とは45回転で再生される7インチのレコードのことであろう。1997年といえばCD時代真っ只中ではあるが、この曲のミュージックビデオにおいても、登場する若い女性はレコードプレイヤーで7インチ・シングルをノリノリで聴いている。

コーナーショップというバンド名からは角の商店のようなものが想像されるのだが、イギリスではコンビニエンスショップのような業態を指すこともあるらしく、それらをアジア系の人達が経営しがちだということが、ネーミングの由来となっているらしい。つまり、コーナーショップというバンドはアジア系であることのアイデンティティーを重要視していて、反レイシズム的なアティテュードも前面に押し出していた。

「ブリムフル・オブ・アーシャ」単体でもポップソングとしてひじょうに魅力的なのだが、アルバムはさらにバラエティーにとんでいてとても楽しい。インディー・ロックにインド音楽のフレイバーが感じられながら、ヒップホップの要素が取り入れられていたりカーニバル的なインストゥルメンタル曲があったり、さらにはビートルズ「ノルウェーの森」のカバーである。この曲はそもそも西洋のポップソングで初めてインド発祥の楽器、シタールを用いたといわれているのだが、それをインド系イギリス人のメンバーによるコーナーショップがわりとストレートにカバーしているということになる。

「ブリムフル・オブ・アーシャ」はその後、ファットボーイ・スリムの名義でも大活躍していたノーマン・クックによってリミックスされ、そのバージョンはなんと全英シングル・チャートの1位に輝くことになる。

イギリスの音楽メディアは1997年の年間ベスト・アルバムにレディオヘッドやスピリチュアライズドなどを選びがちだったが、アメリカの「SPIN」は「ボーン・フォー・ザ・セヴンス・タイム」を選んでいた。同じくアメリカの「ヴィレッジ・ヴォイス」でも年間3位である。

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