プリンス「1999」について。

プリンスの5作目のアルバム「1999」がリリースされたのは、1982年10月27日であった。1978年にアルバム「フォー・ユー」でデビューしたプリンスがこの時点までに記録した全米アルバム・チャートでの最高位は「戦慄の貴公子」の21位、全米シングル・チャートにおいては1979年の「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」が最高11位を記録していたが、それ以降となると最高70位の「戦慄の貴公子」以外はランクインすらしていなかった。

音楽雑誌では取り上げられているのを見かけるし、批評家やマニアックな音楽ファンには受けているようだが、一般大衆的にメジャーというわけでもない、という印象だろうか。このアルバムは初めて全米アルバム・チャートの10位以内にランクインし、さらにはシングル・カットされた「リトル・レッド・コルヴェット」も最高6位で初のトップ10となったことで、プリンスのキャリアにおいてもひじょうに重要な作品だといえる。この次のアルバムが1984年の「パープル・レイン」で、それ以降はマイケル・ジャクソンやマドンナと並んで80年代を代表するポップ・アイコンとなり、ヒット曲も次々と生み出していくのであった。

ローリング・ストーンズが1981年のツアーでオープニングアクトにプリンスを起用したのだが、大ブーイングに遭ったというような記事を、音楽雑誌でよく見かけたような気がする。「1999」がリリースされる前の年のことである。その時点でローリング・ストーンズのライブに来るような音楽ファンに、プリンスが受け入れられるのはなかなか難しかったのではないかというような気がする。

当時、高校生で全米ヒット・チャートにランクインしているような音楽を好んでいた私は、ジャンルにこだわりなくいろいろ聴いていたつもりではあるのだが、その中でジャンル分けというのはある程度できていたような気がする。小学校時代からの友人で高校は別々になった友人がいて、定期的にお互いが最近買ったレコードなどを聴かせ合う会を催していたのだが、そこでもプリンスの話になり、ロックなのかソウルなのかよく分からず、中途半端な感じがするという結論で落ち着いていた。

それはおそらく日曜日だったのだが、お互いのレコードも聴かせ合い尽くし、そろそろ締めに入ろうとしていた夕方過ぎであった。ステレオのソースをレコードプレイヤーからチューナーに切り替えると、その秋に開局したばかりのエフエム北海道にチューニングされていて、プリンスの「1999」がかかったのだ。私は主にロックとポップス、友人はソウルやジャズのレコードを買っていたため、被ることがなくて良かったのだが、プリンスにはどちらもハマっていなかった。というか、よく理解できていなかったという方が正確かもしれない。

「1999」から最初にシングル・カットされたのはタイトルトラックの「1999」であり、全米シングル・チャートでの最高位は44位であった。この時点でプリンスのトップ40ヒットは、以前として「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」1曲のみである。「1999」とは西暦1999年のことであり、いまとなっては遠い過去の話ではあるのだが、当時においては来る未来であった。そして、ノストラダムスの大予言とかそういうやつで、その年に世界が滅亡するというような話があった。どの程度の割合の人々がどれぐらいのレベルでこれを信じていたのかは定かではないのだが、そういう話があるのだということぐらいは、広く共有されていたように思える。

「1999」の約1ヶ月後にマイケル・ジャクソンの「スリラー」がリリースされ、ご存じの通りポップ・ミュージック史に残る大ヒットを記録する。マイケル・ジャクソンがクインシー・ジョーンズをプロデュースに迎えたアルバムとしては先に1979年の「オフ・ザ・ウォール」があり、「今夜はドント・ストップ」「ロック・ウィズ・ユー」と2曲の全米NO.1ヒットを生むなど大成功したのだが、期待していた規模に比べると満足がいくものではなかったらしい。

それで、次のアルバムでは意図的にマーケットの拡大を狙ったと思われる。つまり、ソウルやディスコ・ミュージックのファンだけではなく、ロックやポップスのファンにもアピールしていこうということである。それで、最初のシングルはポール・マッカートニーとのデュエット曲「ガール・イズ・マイン」で、「今夜はビート・イット」にはエドワード・ヴァン・ヘイレンが参加していたのかもしれない。

音楽専門のケーブルテレビチャンネルが1981年の夏にアメリカで開局し、若者たちを中心に大流行した。イギリスのニュー・ウェイヴやシンセ・ポップでは、すでに映像に力を入れているバンドやアーティストが多かったことから、それらが放送される機会が多かったといわれている。ヒューマン・リーグ「愛の残り火」が全米シングル・チャートで1位になったのが1982年の夏で、プリンス「1999」やマイケル・ジャクソン「スリラー」がリリースされる数ヶ月前である。

翌年になるとやはりイギリスのニュー・ウェイヴ系のバンドであるカルチャー・クラブ「君は完璧さ」、デュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」などが全米シングル・チャートの上位に入ってくるのだが、これもMTVの影響だったといわれている。当時のMTVには白人アーティストのビデオしか放送されないという批判もあったようなのだが、マイケル・ジャクソン「スリラー」からシングル・カットされた「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」などでやっとそれ以外のアーティストのビデオも放送されるようになり、風穴をあけたとされている。

そのような全米シングル・チャートの変わり目というか、新しいものを受け入れやすそうなムードがあったような気がする頃に、「1999」から2枚目のシングルとしてカットされた「リトル・レッド・コルヴェット」が順位をどんどん上げていき、ついにはプリンスにとって初となるトップ10入りを果たしたのであった。1983年4月30日付の全米シングル・チャートでのことであり、その週の1位はマイケル・ジャクソン「今夜はビート・イット」、他にはデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ「カモン・アイリーン」、グレッグ・キーン・バンド「ジェパーディ」、スティクス「ミスター・ロボット」、アフター・ザ・ファイヤー「秘密警察」、デヴィッド・ボウイ「レッツ・ダンス」、マイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」、トーマス・ドルビー「彼女はサイエンス」、メン・アット・ワーク「オーヴァーキル」がトップ10内にランクインしていた(日本の「ザ・ベストテン」では、中森明菜「1/2の神話」を細川たかし「矢切の渡し」が追っていた)。

日本でMTVはまだ放送されていなかったが、「ベストヒットUSA」という素晴らしい番組があり、洋楽も聴くだけではなく見る時代に突入していた。「リトル・レッド・コルヴェット」のビデオを、やはり「ベストヒットUSA」で見た。プリンスがバンドをバックに歌い踊っているだけのシンプルなビデオなのだが、その薄暗くて怪しげな雰囲気や独特のパフォーマンス、日の丸と「神風」の文字がプリントされたハチマキを巻いたメンバーなど、はじめは違和感だったのが、少しずつクセになり、気がつけば好きになっている類いの魅力が感じられた。

その後に「1999」が全米シングル・チャートで12位まで上がったり、「デリリアス」がシングル・カットされ、最高8位を記録するということもあった。明らかに主流ではない、アウトサイダー的な雰囲気を感じさせるアーティストであり楽曲なのだが、それがメインストリームでヒットする快感というか、そういったものを感じてはいた。これには、「リトル・レッド・コルヴェット」のビデオがバンドでのパフォーマンスであったことにより、この音楽は新しいタイプのロックとして楽しめばいいのだ、ということが分かりやすく提示されていたこともわりと役立っていたような気がする。

友人の家のFMラジオで「1999」を初めて聴いた時に、ロックなのかソウルなのかよく分からずに中途半端だとしか感じられなかった私はすでに、むしろロックからもソウルからも影響を受けた最新型のポップ・ミュージックとして、プリンスの音楽を楽しめるようになっていた。

以前からプリンスを評価していた批評家の中には、「1999」はポップでキャッチーになりすぎたとか、これではただのダンス・ミュージックではないか、というような意見もあったようである。しかし、そこがポピュラリティーを得られたポイントでもあったように思える。当時、2枚組でリリースされた「1999」の1枚目のA面には「1999」「リトル・レッド・コルヴェット」「デリリアス」とシングル曲がすべて収録されている。

B面は7分21秒の「夜のプリテンダー」と8分17秒の「D.M.S.R.」の2曲である。シンセサイザーとドラムマシンのサウンドが特徴的だが、このアルバムに収録された楽曲ではほとんどの楽器がプリンス自身によって演奏されているという。「D.M.S.R.」は「Dance」「Music」「Sex」「Romance」の略である。

プリンスの楽曲の多くがそうであるように、コミュニケーションへの希求としてセックスをテーマにしたものがひじょうに多いのだが、それがこの怪しげにユニークなサウンドとボーカルにハマっているようにも思える。そして、2枚目の方にファルセットで歌われるバラード「フリー」が収録されていたりと、バラエティーにも富んでいる。

1984年の「パープル・レイン」以降のプリンスは超メジャーなアーティストにしてポップ・アイコンと化していくわけだが、「1999」にはそのオリジナリティーとメインストリームに突破していこうとする感じとのせめぎ合いというのか、良い意味で未完成なところやニュー・ウェイヴ的な感覚も感じられてとても良い。