ABBA「ダンシング・クイーン」

1977年4月9日の全米シングル・チャートにおいて、ABBA「ダンシング・クイーン」がダリル・ホール&ジョン・オーツ「リッチ・ガール」を抜いて初の1位に輝いているが、翌週にはデヴィッド・ソウル「やすらぎの季節」に抜かれている。世界的な大人気グループとして知られるABBAだが、全米シングル・チャートで1位に輝いたのは、この1週のみであった。ちなみに全英シングル・チャートでは、「恋のウォータールー」「マンマ・ミーア」「悲しきフェルナンド」「ダンシング・クイーン」「ノウイング・ミー、ノウイング・ユー」「きらめきの序曲」「テイク・ア・チャンス」「ザ・ウィナー」「スーパー・トゥルーパー」と、実に9曲もが1位を記録している。

ABBAというグループ名はビョルン・ウルヴァース、アグネッタ・フェルツクグ、アンニ=フリッド・リングスタッド、ベニー・アンダーソンという4人のメンバーの頭文字から取ったものであり、1つめの「B」が鏡にうつした時のように反転されていることもあった。Aの頭文字のメンバーが女性で、Bの頭文字のメンバーが男性、男女のカップル2組から成るグループでもあり、活動中に2組ともが結婚し、離婚した。男性メンバーであるビョルン・ウルヴァースとベニー・アンダーソンは当初、デュオとして活動してもいて、1970年には地元であるスウェーデンの映画のためにつくられたシングル「木枯しの少年」を、ビョルン&ベニーの名義でリリースしている。2年後には日本でも発売され、オリコン週間シングルランキングで最高7位のヒットを記録している。

このビョルン&ベニーにそれぞれの交際相手が加わり、ビョルン&ベニー、アグネッタ&フリーダとなったのが、後のABBAであり、1974年のユーロヴィジョン・ソング・コンテストで「恋のウォータールー」が優勝したことをきっかけに、ヨーロッパを中心にヒット曲を連発するようになった。ユーロポップ的な親しみやすい楽曲がとても良かったのではないかと思うのだが、アメリカでは「恋のウォータールー」が全米シングル・チャートで最高6位を記録していたものの、それ以降のシングルはトップ10の壁を破れずにいた。

1970年代の半ばにはディスコソングが流行しはじめていたのだが、ABBAもこれを取り入れた曲をつくり、それが「ダンシング・クイーン」であった。当初は「ブーガルー」というタイトルだったようなのだが、ディスコヒットであるジョージ・マックレー「ロック・ユア・ベイビー」などから強く影響を受けたものだったという。この曲のレコーディングは1975年の9月に行われ、その一部はドキュメンタリー映画に記録されている。メンバーはこれはヒットするに違いないと確信を持ち、フリーダなどはバックトラックが入ったテープを聴いた時点で、あまりにも良すぎて泣いていたという。「マンマ・ミーア」の次のシングルとしてリリースしようという話もあったようなのだが、この曲のポテンシャルを察知していたマネージャーは、まず先に「悲しきフェルナンド」をリリースすることを選んだ。

「ダンシング・クイーン」はドイツと日本のテレビでまずはプレミア公開されたということなのだが、話題を呼んだのは1976年6月18日、カール16世グスタフとジルフィア・レナーテ・ゾマラートの結婚披露宴でパフォーマンスされた時だという。この数ヶ月後にシングルがリリースされると、イギリスやドイツなどをはじめ、多くの国々のシングル・チャートで1位に輝いたのであった。特に本国のスウェーデンにおいては、14週にもわたって1位を記録したのだという。また、ABBAの人気がひじょうに高かったオーストラリアでも1位になっているのだが、90年代には映画「ミュリエルの結婚」でもABBAの他の楽曲と共に、効果的に使われていた。

そして、アメリカでもついに1位に輝くことになった。日本では1977年4月25日に発売され、オリコン週間シングルランキングで最高19位を記録するのだが、55週にもわたってランクインしていたようだ。日本でもABBAの人気はひじょうに高く、洋楽をそれほど主体的に聴いていない小中学生でも普通に知っていたり、ラジオなどでもよく流れるレベルであった。1979年にはシングル「チキチータ」「ヴーレ・ヴー」「ギミー・ギミー・ギミー」が3曲連続でオリコン週間シングルランキングの20位以内にランクインし、ベストアルバム「グレイテスト・ヒッツVol.2」は1980年のオリコン年間アルバムランキングで、松山千春「起承転結」、イエロー・マジック・オーケストラ「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」に次ぐ3位にランクインしていた。2001年にもTBS系のテレビドラマ「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」で「S.O.S.」「チキチータ」が使われたことによってリバイバルが起こり、日本独自で企画されたベストアルバム「S.O.S.~ベスト・オブ・アバ」がオリコン週間アルバムランキングで最高3位を記録している。

イギリスでは1992年にシンセポップデュオのイレイジャーが、ABBAの曲をカバーしたEP「アバ-エスク」で全英シングル・チャートの1位に輝くのだが、この年にABBAのベストアルバム「アバ・ゴールド」もリリースされ大ヒットするなど、リバイバルムードが高まっていた。個人的にはこの少し前のことになるのだが、たまたまとあるCDショップのクラシック売場で仕事をしていたのだが、とある外国人客が買ったクラシック音楽のCDを聴いてみたところABBAの音楽が収録されていたとクレームを受けた。それで、すぐに交換をしたのだが、その数分後には「マタABBAデ~ス!」と言いながら再来店されたことが、強く印象に残っている。2021年には実に40年ぶりとなるオリジナルアルバム「ヴォヤージ」がリリースされ、イギリスやスウェーデンのアルバムチャートで1位に輝いたことも話題になった。

このようにポップミュージック史に大きな功績を残し続けているABBAではあるのだが、やはり「ダンシング・クイーン」が突出してすごいと思えるのは、ユーロポップ的な本来の魅力にディスコミュージックというその時の旬な要素が絶妙にミックスされているためであろう。イントロのピアノのフレーズからして、一瞬にしてリスナーを引き込む力に溢れ、「Having the time of your life」というフレーズに相応しい、キャッチーでありながら感動的でもあるメロディーとコーラス、金曜の夜で灯りは薄暗いという情景の描写、「Young and sweet, only seventeen」という簡潔にして究極的なフレーズ、人生の最も良い時を過ごしていて、それはやがて終わってしまうのだが、そのことにまだ気づいてはいないという刹那の輝きが表現されている点なども含め、まさに完璧なポップソングの1つだといえる。