宇多田ヒカルの名曲ベスト20【後編】

宇多田ヒカルの8作目のアルバム「BADモード」のリリースを機に、その軌跡を20曲に厳選した名曲と共に振り返っていこうという企画の後編である。

宇多田ヒカルの名曲ベスト20【前編】

前編では1998年の衝撃のデビューから2010年以降の「人間活動」期中に特例としてリリースされたアニメーション映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の主題歌「桜流し」までを取り上げたが、今回は2016年の活動再開以降の楽曲からセレクトしていきたい。

「ベスト20」と銘打ってはいるが、前編同様に曲はほぼ発売順に並べていて順位はつけていない。

花束を君に

2010年に翌年以降のアーティスト活動をやめて「人間活動」に専念することを発表した宇多田ヒカルだが、2016年にNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の主題歌「花束を君に」でアーティスト活動を再開する。

国民的人気番組となるであろう作品の主題歌ということで、あえて間口を広くしようという意図があったようで、エルトン・ジョン「可愛いダンサー(マキシンに捧ぐ)(原題:Tiny Dancer)」やオフコースやチューリップといったニューミュージックが参照されたという。

「人間活動」期間中の2013年に母親である藤圭子を亡くしているが、「花束を君に」で歌われている「君」というのは母親のことである。

宇多田ヒカル自身が最も気に入っているという「世界中が雨の日も 君の笑顔が僕の太陽だったよ」という歌詞にあらわれているように、深い喪失感から生まれた切実な表現が圧倒的な強度を実現している。

このような意味の濃さがありながら、キャッチーなメロディーとピアノとストリングスを主体としたシンプルなアレンジによって、ひじょうにポップな楽曲に仕上がっているところがまたすごい。

配信のみでのリリースでBillboard Japan Download Songsで1位に輝き、後にアルバム「Fantôme」にも収録された。

真夏の通り雨

活動再開後最初の楽曲として、「花束を君に」と同時に配信限定シングルとしてリリースされ、Billboard Japan Download Songsでは最高2位(1位は「花束を君に」)を記録した。

宇多田ヒカルがアーティストとしての活動を開始したきっかけは第一子の妊娠だったということだが、妊娠中に最初に書き上げたのがこの曲だったという。

忘れようとしても忘れられない、けして消えることのない喪失感というのは多くの人々に広く共感されるテーマではあるのだが、この曲においても宇多田ヒカルは個人的な心境や感情をベースとしながらも、ユニバーサルな作品として完成させることに成功しているといえる。

息をもつかせぬ圧倒的な表現がここにはあり、小田和正、桑田佳祐、渋谷陽一をはじめとする多くのアーティストや批評家たちからも大絶賛されている。

道 (2016)

「花束を君に」「真夏の帰り道」も収録したアルバム「Fantôme」は2016年9月28日にリリースされ、オリコン週間アルバムランキングで1位に輝いた。前作「HEART STATION」からは8年半ぶりとなる。そのクオリティーの高さは絶賛され、第58回日本レコード大賞における最優秀アルバム賞や第9回CDショップ大賞なども受賞している。

この曲は「Fantôme」の12日前に椎名林檎とのコラボレーション曲「二時間だけのバカンス」と同時に先行配信され、Billboard Japan Download Songsで最高3位を記録した。

「Fantôme」 は2013年に亡くなった宇多田ヒカルの母親、藤圭子に捧げられた作品だが、この曲はその1曲目に収録されている。カリプソやソカのリズムが用いられた明るめのダンスポップで、「言い残したことを言い切った曲」説明されているが、「悲しい歌もいつか懐かしい歌になる」「転んでも起き上がる 迷ったら立ち止まる」と前向きでありながら、その根底には「一人で歩いたつもりの道でも 始まりはあなただった It’s a lonely road But I’m not alone そんな気分」と母の存在がある。

あなた (2017)

宇多田ヒカルは2017年にレーベルをエピックレーベルジャパンに移籍し、「大空で抱きしめて」「Forevermore」に続いて配信リリースされたのがこの曲である。映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」の主題歌にも起用され、Billboard Japan Download Songsで1位に輝いた。

「あなた以外なんにもいらない 大概の問題は取るに足らない」と究極的な愛情が捧げられる対象は子供であり、もちろん2015年の第一子出産が大きく影響していると考えられる。

「ロッキング・オンJAPAN」において渋谷陽一は宇多田ヒカルの歌詞における2人称がデビューからずっと「君」だったのに対し、「真夏の通り雨」においては「あなた」に変化していることを指摘したが、この曲においてはその「あなた」自体がタイトルになっている。

宇多田ヒカルはこの曲における「あなた」という単語について、英語においての「Darling」に近いものだと語っていて、「あなた」の歌詞にも実際に「Darling」と歌われている箇所はある。

そして、この深い愛をテーマにした楽曲において、「終りのない苦しみ」が前提とされていることもリアリティーと必要性をあたえているように感じられる。

Play A Love Song (2018)

宇多田ヒカルは2018年にエピックレコードジャパン移籍後の配信リリース曲も収録したアルバム「初恋」をリリースし、オリコン週間アルバムランキングで1位に輝いた。この曲はアルバムの約2ヶ月前に先行配信され、Billboard Japan Download Songsで1位に輝いた。

この曲は宇多田ヒカル自身も出演したサントリー南アルプススパークリング SWITCH & SPARKLINGのCMソングとしても使用されたが、極寒の地で行われたというCM撮影の最中に浮かんだフレーズが「長い冬が終わる瞬間」であり、これはアルバム全体のテーマにも通じるものになったという。

宇多田ヒカルの作品にはコーラスも含め自身のボーカルが収録される場合がほとんどだが、この曲にはサム・スミスの作品にも参加しているという女性コーラス隊が起用されていて、ゴスペル的なアップリフティングな感じを出している。

ピアノのフレーズには90年前後のイギリスで流行したマッドチェスターサウンドを思わせるようなところもある。

初恋 (2018)

宇多田ヒカルにとって7作目のオリジナルアルバムとなる「初恋」からリリースの約1ヶ月前に先行配信され、Billboard Japan Download Songsで1位に輝いたタイトルトラックである。

テレビドラマ「花のち晴れ~花男 Next Season~」のイメージソングとして書き下ろされた曲であり、原作を読んでそこに表現されていた普遍的なテーマがモチーフになっているという。

音楽面においてはリズム楽器が一切使用されていなく、ティンパニやストリングスのサウンドがひじょうに印象的な楽曲となっている。

「もしもあなたに出会わずにいたら 誰かにいつかこんな気持ちにさせられたとは思えない」という表現のように、歌詞もひじょうに文学的でありながら、普遍的な内容をリアルに伝えている。

活動再開後の宇多田ヒカルの歌詞においては英語の割合がひじょうに減っていて、日本語での表現に対するこだわりが感じられるのだが、「初恋」という単語はデビューアルバム「First Love」の日本語訳もなっている。

One Last Kiss (2021)

アニメーション映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のテーマソングとしてリリースされ、Billboard Japan Hot 100で1位に輝いた。

イギリスの音楽プロデューサー、A.G.クックとの共同プロデュースによる楽曲であり、新感覚のシンセポップとでもいうべき実験性が感じられる。

テーマとしてはやはり深い喪失感があるのだが、それを忘れようとするのではなく、それを常に抱えて生きていくことによって、それが贈りものとして実感できるのだという価値観に、この楽曲の制作によって至ることができたとも語られている。

この曲は8作目のオリジナルアルバムとなる「BADモード」にも収録される。