ザ・スミスの名曲ベスト30 Pt.3 (10-1)

10. The Queen Is Dead (1986)

ザ・スミスの3作目のアルバム「クイーン・イズ・デッド」の1曲目に収録されたタイトルトラックで、シングルではリリースされていないのだがひじょうに人気が高い。とにかく演奏のテンションが高いのだが、冒頭には1962年の映画「The L-Shaped Room」から「テイク・ミー・バック・トゥ・ザ・ブライティー」という曲の一節が引用されている。

セックス・ピストルズ「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」と同様に、イギリスの君主制に対しての痛烈な批判精神がタイトルからしてすでに含まれているわけだが、ピッチを変えたボーカルをコーラスとして使用したモリッシーのボーカルは、この素晴らしいアルバムのオープニングに相応しいものである。

個人的にこのアルバムがリリースされた当時にはそれほど熱心なザ・スミスのファンというわけでもなかったのだが、このアルバムはひじょうに話題になってはいて、渋谷公会堂で行われた松本伊代のコンサートの帰りに、まだ宇田川町にあった頃のタワーレコードでニューリリースコーナーに平積みになっていたのを、スティーヴ・ウィンウッド「バック・イン・ザ・ハイ・ライフ」と一緒に買った記憶がある。

9. Hand In Glove (1983)

ザ・スミスのデビューシングルで、全英シングル・チャートでは最高124位、インディー・チャートで3位を記録した。

モリッシーとジョニー・マーは一緒に曲をつくりデモテープをレコード会社に送ってみるものの、なかなか契約には結びつかない日々が続いていたのだが、この曲によってついにラフトレード・レコードからデビューすることになったのだという。

ザ・スミスの楽曲はモリッシーの歌詞にジョニー・マーが曲をつける場合が多いといわれているが、この曲の場合はジョニー・マーによる曲の方が先にできていたのだという。ハーモニカのサウンドは初期ビートルズのリバプールサウンドを思わせなくもなく、これがイギリスのワーキングクラスらしさを演出しているとする分析もある。

ザ・スミスの多くの楽曲がそうであるように、ひじょうに特別な関係について歌われていて、歌詞にはマンチェスターを舞台にした演劇「蜜の味」からの引用もある。

60年代に活躍したポップシンガー、サンディ・ショウが歌いザ・スミスのメンバーがバッキングを務めたカバーバージョンもリリースされ、こちらは全英シングル・チャートで最高27位を記録した。

8. Bigmouth Strikes Again (1986)

アルバム「クイーン・イズ・デッド」から先行シングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高26位を記録した。レーベルは「ゼア・イズ・ア・ライト」を先行シングルにと推していたようなのだが、バンド側の要望でこの曲がリリースされたようだ。

ザ・スミスはその音楽もさることながら、雑誌のインタヴューなどにおけるモリッシーの発言にも大きな注目があつまっていて、名言集のような本も出版されていたはずである。とはいえ、モリッシーとしてはその発言を本来の意図とは別の意味合いで取り上げられたりもすることに対して不満をいだいてもいたようである。

この曲においてはタイトルにもあらわれているように、そういった側面をやや自虐的に取り扱ってもいて、そこがなかなかおもしろくもある。

音楽的にはローリング・ストーンズ「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」からの影響も指摘されるのだが、セッション中にできあがったらしい。

7. What Difference Does It Make? (1984)

ザ・スミスの3枚目のシングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで最高12位を記録し、デビューアルバム「ザ・スミス」にも収録された。

MTVがヒットチャートに大きな影響をあたえ、シンセサイザーなどを用いたポップミュージックがメインストリームになっていた当時、このようなタイプの曲がヒットすることにはわりとインパクトがあった。しかも、ボーカルがひじょうにユニークである。

この曲もまた特別な関係性がテーマになっているのだが、わりと酷いめにあったあげくにかなりうんざりしているものの、それでもまだ相手のことが好きだといういかんともしがたい状況について、やや自嘲気味に歌われているのが特徴である。

6. Heaven Knows I’m Miserable Now (1984)

ザ・スミスの4枚目のシングルで、全英シングル・チャートでは最高10位と初のトップ10入りを果たした。タイトルはサンディ・ショウ「ヘヴン・ノウズ・アイム・ミッシング・ヒム・ナウ」にインスパイアされたものである。

この曲の主人公はなぜいま惨めなのかというと、仕事が見つかってしまったために、自分が生きていようが死んでいようが気にしない人たちのために価値のある時間を使ったり、むしろ目を蹴ってやりたいような人たちに対して微笑まなければならなくなったからである。

このネオアコースティック的ともいえる爽やかで素敵なサウンドに乗せて、このようなことが歌われているのが実に素晴らしい。

5. Panic (1986)

アルバム「クイーン・イズ・デッド」の後、最初にリリースされたシングルで、ザ・スミスのいくつかのシングルと同様にオリジナルアルバムには収録されていない。全英シングル・チャートでは最高11位を記録した。

「ディスコを焼き払え」「DJを吊し上げろ」というスローガン的なフレーズが印象的であり、特に後者は子供たちによってコーラスさせている。なぜそのようなメッセージを発するに至ったかというと、DJたちが定期的にかける音楽というのが、自分の生活にまったく関係がないことしか歌っていないからだという。

この曲は全英シングル・チャートで最高11位まで上がっただけあって、イギリスのラジオではよくかかっていたと思われるのだが、モリッシーはこの曲がターゲットにしているようなタイプの音楽と並んでこの曲がラジオで流れたところが革命的だというようなことをいっていたようだ。

モリッシーとジョニー・マーがラジオを聴いていたところ、チェルノブイリ原発事故の深刻なニュースが報じられ、その後に能天気ともいえるワム!「アイム・ユア・マン」がかかったことがあり、その体験がこの曲のベースになっているともいわれている。

また、ディスコミュージックを否定しているようにも取れるモリッシーの歌詞について、人種差別的であるという批判が、たとえばスクリッティ・ポリッティのグリーン・ガートサイドなどからなされたりもした。

4. The Boy With The Thorn In His Side (1985)

「心に茨を持つ少年」の邦題で知られるシングルで、後にリミックスされたバージョンがアルバム「クイーン・イズ・デッド」に収録された。全英シングル・チャートでは最高23位を記録した。

演奏やモリッシーのボーカルにザ・スミス的な特徴がよく出ている楽曲だということができ、特にヨーデル的だともいわれるロックボーカリストとしてはひじょうにユニークなタイプのボーカルパフォーマンスが特徴的なところもある。

メディアの報道やそれによって広まったイメージを信じ込み、けして自分たちのことを受け入れようとしない人たちのことたちについて歌われているといわれ、「茨」とはつまりそういうことなのだということだが、大人は判ってくれない的なより広い意味を持った曲としてももちろん解釈することができ、その繊細さがいかにも当時のインディー・ロック的だともいえる。

3. There Is A Light That Never Goes Out (1986)

アルバム「クイーン・イズ・デッド」からレーベルは先行シングルにと推したようなのだが、バンドの意向により当時はシングルカットされなかった。しかし、人気はひじょうに高く、いまやザ・スミスの代表曲とされる場合も多く、名曲ランキングの類いでも1位に選ばれる場合が最も多い。

イントロはヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲を思わせたりもするのだが、この曲はなんといっても、どうやら好きな人と一緒に車に乗っていて、10トントラックだとか2階建てバスだとかがぶつかってきて、その人のそばで死ねるならばそれはなんて素敵な死に方なのだろう、というようなコーラスのところがとても有名である。しかも、美しくもドラマチックなストリングスの演出も効いている。

そこに至る前提として、この世にはどこにも居場所がない自分というのがあるわけだが、それで音楽があって人々が若々しくて生き生きとしているどこかへ連れて行って、となるわけである。

2009年の映画「(500)日のサマー」では主人公の男性がヒロインとオフィスのエレベーターで初めて出会う時に、ヘッドフォンでこの曲を聴いているわけだが、漏れる音を聞いたヒロインが私もザ・スミスが好きよというので運命を感じたというそこからはじまるし、予告編でもフィーチャーされていた。ザ・スミスはその程度のことで運命を感じられるようなタイプのバンドであり、それがこの曲ともなればなおさらのことである。

解散後の1992年にベストアルバムからシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高25位を記録した。

2. How Soon Is Now? (1984)

シングル「ウィリアム」のB面としてリリースされた後、コンピレーションアルバム「ハットフル・オブ・ホロウ」に収録され、それからシングルA面としても発売されて、全英シングル・チャートで最高24位を記録した。

この曲はザ・スミスの名曲ランキング的なもので1位に選ばれる回数が、「ゼア・イズ・ア・ライト」の次に多いのではないだろうか。「ミュージックステーション」ドタキャン騒動でもお馴染みのロシアのポップデュオ、t.A.T.u.がカバーしたことでも知られるが、あのバージョンは個人的にはわりと気に入っているのでもっと評価されてしかるべきではないかとも感じてはいる。

それはそうとして、この曲はザ・スミスのレパートリーの中でも特にロック的なカタルシスが感じられもするのだが、当時、インディーロックをあえて聴いていたような人たちには刺さりがちだともいえる内容が扱われてもいる。それは、性愛的な充足されなさとも関係している。かつてのモリッシー名言集の中に、セックスよりもポップミュージックにエクスタシーを感じる、というものがあったとしてもである。

出会いを求めクラブに行くが、一人ぼっちで踊って家に帰り、泣いて死にたくなるという、救いようも身も蓋もないような事実が歌われ、それが多くのインディーロックファンの共感を得たりもしたと思われる。

1. This Charming Man (1983)

ザ・スミスの2枚目のシングルとしてリリースされ、全英シングル・チャートで25位、インディー・チャートでは初の1位に輝いた。解散後、1992年にはベストアルバムからシングルカットされ、全英シングル・チャートで最高8位と、ついにトップ10入りを果たしている。この曲で出演したイギリスの人気テレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」によって、ザ・スミスを初めて見たイギリス国民はひじょうに多いといわれていて、後にオアシスの中心メンバーとなるノエル・ギャラガーもその1人だったという。

ちなみにいまやこの曲を1位に選んでいるザ・スミスの名曲ランキングはほとんど見かけないのだが、ある時期までザ・スミスの代表曲といえばこれであり、それゆえに1992年にベストアルバムがリリースされた時にも最初にシングルがリリースされたのはこの曲だったような気がする。その頃、20歳ぐらいだった女子大生たちと東京タワーのわりと近くにあるみなと図書館というところに、当時「ロッキング・オン」の編集長であった増井修のビデオコンサート的なものを見に行った時に、女子大生のうちの1人がザ・スミスは「ジス・チャーミング・マン」だけ聴いておけばいいかな、などと抜かしていたのでマイルドに説教をした記憶があるので間違いがないような気がする。宮嵜広司が給料が出たので新宿でザ・スミスの海賊版ライブビデオを買った、と嬉しそうに話していた。

それはそうとして、ここでこの曲を1位に選んでしまったわけだが、「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」の方が良いのではないかと思っていた時期も確かにあって、やはり「ジス・チャーミング・マン」ではないかということになったのはわりと最近のことではある。このキラキラしたポップ感覚、ロックの男性的なイメージに対するアンチテーゼともいえる、くねくねと踊りながら花を振り回して歌うスタイルなど、これこそがザ・スミスというバンドの存在価値を最も端的にあらわしているのではないかと、そういう気分になってきたわけである。

今夜は出かけたいのだが着ていく服がないというというのは、ハンサムな男が気にするにしてはなんとも身の毛もよだつことである、というような文学的な歌詞もポップソングとしてはひじょうに独特であった。そして、途中のモリッシーによるなんとも表現しがたい叫びのようなものもパフォーマンスとしてひじょうに素晴らしい。

モリッシーの現在の主義主張に賛同できる点はほとんどないことは事実だとしても、それがザ・スミスが遺した作品の価値を貶めることはなく、やはり正当に評価されるべきであろう。