ジョン・レノン&ヨーコ・オノ「ダブル・ファンタジー」について。

ジョン・レノン&ヨーコ・オノのアルバム「ダブル・ファンタジー」は、1980年11月17日に発売された。1975年以降、息子であるショーンの育児に専念していたジョン・レノンにとって、約5年ぶりとなるアルバムであった。

この年の6月にジョン・レノンはバミューダ島に船で旅をするのだが、途中で嵐に遭って乗組員は船酔いし、船長も寝なければならなかったので、ジョン・レノンが6時間ぐらい良好とはいえないコンディションの中、操縦をしなければならないという状況になった。この時の体験が、音楽活動を再開するきっかけになったという。

バミューダのナイトクラブに行くと、ニュー・ウェイヴ・バンド、B-52’sの「ロック・ロブスター」がかかっていて、かつて聴いたヨーコ・オノの音楽に似ていると感じた。また、植物園では「ダブル・ファンタジー」という名のフリージアの花を見つけ、それが後にアルバムのタイトルになった。

ジャック・ダグラスを共同プロデューサーとして、レコーディングはニューヨークのヒット・ファクトリーというスタジオで行われた。ジョン・レノンとヨーコ・オノはそれぞれ、別々の時間帯にレコーディングを行ったという。ジョン・レノンのいくつかの曲では、チープ・トリップのメンバーがレコーディングに参加したこともあったが、そのテイクは採用されなかったようだ。

アルバムはジョン・レノンとヨーコ・オノの曲が交互に収録され、対話しているかのような構成になった(A面の最後に収録された「ビューティフル・ボーイ」とB面1曲目の「ウォッチング・ザ・ホイールズ」がいずれもジョン・レノンの曲であり、CDや配信のアルバムでは2曲続くことになり、B面の最後は「男は誰も」「ハード・タイムス・アー・オーヴァー」と、ヨーコ・オノの曲が2曲続くが)。レーベルの交渉はヨーコ・オノが行い、実際の作品を聴いていない状態で興味をしめしたゲフィン・レコーズとの契約が締結された。

「ダブル・ファンタジー」のリリース時の評価は、それほど芳しいものばかりではなかったという。先行シングルの「スターティング・オーヴァー」は10月24日(アメリカではその前日)にリリースされたが、全英シングル・チャートでは30位に初登場し、4週目で8位を記録した後は順位を下げていった。その週の1位はABBA「スーパー・トゥルーパー」で、以下、ブロンディ、デニス・ウォーターマン、ステファニー・ミルズ、デヴィッド・ボウイ、バーブラ・ストライザンド、クール&ザ・ギャングがランクインしている。「ダブル・ファンタジー」も27位に初登場し、14位に上がった後は順位を大きく落としていっていた。

「ダブル・ファンタジー」が発売されてから3週間後の12月8日、ジョン・レノンとヨーコ・オノは「ローリング・ストーン」誌のフォトセッションに参加した後、RKOラジオ・ネットワークのインタヴューを受けた。それから、レコード・プラントというスタジオで、ヨーコ・オノの楽曲でジョン・レノンのギターをフィーチャーした「ウォーキング・オン・シン・アイス」をミックスあうるために自宅マンションを出ることになるのだが、その際に外で待っていたファンから「ダブル・ファンタジー」のジャケットにサインを求められ、それに応じたのだった。

22時50分頃に自宅マンション付近に戻り、その後でヨーコ・オノとレストランに行く予定だったのだが、その前に息子におやすみを言おうとリムジンを降りた。そして、数時間前に「ダブル・ファンタジー」のジャケットにサインをもらった男がジョン・レノンを銃で撃ち、その命を奪った。

日本では12月9日の午後だった。期末テストだったのかどうかはよく覚えていないのだが、その日は通常よりも早く家に帰ったような気がする。テレビをつけると午後のワイドショーのような番組をやっていて、そこでジョン・レノンが射殺されたニュースをやっていた。

中学2年生ぐらいの男子のような自意識過剰な行行動や言動を「中二病」と言い出したのは伊集院光らしいのだが、その症例の一つとして「洋楽を聴きはじめる」があるのだという。実際に私が意識的に洋楽を聴きはじめ、レコードを買い出したのはまさに中学2年の頃であり、その理由というのもなんとなく大人っぽくてモテそうだから、というものであった。そして、最初に買ったのがポール・マッカートニーのシングル「カミング・アップ」だったのだが、元ビートルズのメンバーだったからというのはほとんど関係がなかった。

その年の初めにポール・マッカートニーの来日公演が予定されていたのだが、大麻を所持していたために税関で逮捕された記事が、北海道新聞にも大きく載っていた。その数ヶ月後に「カミング・アップ」はリリースされ、ラジオでもよくかかっていたのだが、ニュー・ウェイヴっぽくて単純にカッコいいなと感じていた。ちょうどそろそろ洋楽のレコードでも買いはじめてみようかなと思っていた時期だったということに加え、そういえばポール・マッカートニーは確か大麻所持で逮捕されていて、そういう犯罪の匂いがするアーティストのレコードを買うのはなんとなくカッコいいのではないかという、いかにも「中二病」らしい理由もあった。

その後、ビリー・ジョエルのアルバム「ニューヨーク52番街」「グラス・ハウス」、秋になって全米シングル・チャートで1位だったので、クイーン「地獄へ道づれ」、ケニー・ロジャーズ「レイディー」のシングル、ポール・マッカートニー「カミング・アップ」を合わせてこの計5枚が当時、私が持っていた洋楽のレコードのすべてであった。

ジョン・レノンが亡くなったことがどれぐらい大きな事件なのかを当時の私はよく分かっていなかったのだが、おそらくとても悲しいことには違いないのだろうと思った。テレビのニュースでもその後、報道されたのだが、流れている映像はカバー・アルバム「ロックン・ロール」からシングル・カットされた「スタンド・バイ・ミー」のものであった。後に映画の主題歌としてリバイバルもするベン・E・キングの1960年代のヒット曲だが、当時はそんなことも知らず、ジョン・レノンのオリジナル曲だとばかり思っていた。

FMラジオでジョン・レノンの特集が放送されたので、それをカセットテープに録音、当時の言葉でいうところのエアチェックして何度も聴いた。家の近所の小さな書店には緊急出版されたというジョン・レノンのロングインタヴューが掲載された分厚い本が入荷していたので、これも買ってよく意味が分からないところも多かったのだが、頑張って読んだ。

ジョン・レノンが亡くなってから、「スターティング・オーヴァー」と「ダブル・ファンタジー」はヒット・チャートの順位を上げていき、イギリスでもアメリカでも1位に輝いた。「スターティング・オーヴァー」はオールディーズ調の楽曲で、新しい出発が歌われていたことが、悲しみをさらに深めた。

お正月にはお年玉をもらったのだが、初売りの日に目を覚ますと、家族はもうすでに買物に出かけていた。それで一人でクスリのツルハの前のバス停から旭川電気軌道バスに乗って、駅前の平和通買物公園まで行った。ミュージックショップ国原で「ダブル・ファンタジー」のレコードを買い、福引を引いたがポケットティッシュしか当たらなかった。

「ダブル・ファンタジー」の1曲目は「スターティング・オーヴァー」で、いまや全米NO.1ソングである。そして、2曲目にヨーコ・オノの「キス・キス・キス」が収録されている。この曲は「スターティング・オーヴァー」のシングルのB面にも収録されていたということなのだが、ヨーコ・オノが日本語で「あなた、抱いてよ」などと官能的なことをいったり、エクスタシーに達しているのではないかと思わせるような表現があったりもして、中学2年の男子にはあまりにも刺激が強すぎたということができる。また、もしもこの曲を聴いている時に親が部屋に入ってきたりすると、これはひじょうに気まずいのではないかという思いがあったりもした。いま聴くとニュー・ウェイヴ的でとてもカッコいいサウンドだったりもするのだが、当時はそれどころではなく、顔が熱くなり変な気分になりかけていた。それがとても不謹慎だとも思えた。

このアルバムからはジョン・レノンの「ウーマン」「ウォッチング・ザ・ホイール」もシングル・カットされ、ヒットするのだが、「ウーマン」などは高校の国語表現という授業でこの曲をテーマにしたフェミニズム的な文章を書いて提出したところ、とても良い点数をいただいたという思い出もある。総じてアダルト・オリエンテッド・ロックというのだろうか、日本でいうところのボズ・スキャッグスだとかボビー・コールドウェルなどの洗練されていて都会的なライフスタイルを彩る音楽としてのAORではなく、大人のロック的な意味合いにおいてのそれ、という感じを受けた。

それに対して、ヨーコ・オノの曲はニュー・ウェイヴ的だったり、懐かしの音楽をオマージュしていたりというような感じで、ひじょうに攻めている。まったく保守的ではないし、ビリー・ジョエルとポール・マッカートニーとクイーンとケニー・ロジャース以外に洋楽のレコードを買ったことがない地方の中学生には理解することが難しかったともいえる。それで、お年玉で買いはしたものの、当時、「ダブル・ファンタジー」をあまり通しては聴いていなかった。それでも、イギリスやアメリカのアルバム・チャートで1位になっているし、グラミー賞も受賞していたのでmおそらくこのアルバムはとても良いのだろうとはなんとなく思っていた。

しばらく経ってから聴くと、ジョン・レノンの曲は相変わらず良いのだが、ヨーコ・オノの曲もわりと好きになっていて驚かされたことがある。ニュー・ウェイヴやオルタナティヴなポップスとして聴くとかなりしっくりくるのだが、こういったタイプの音楽は通常、このアルバムにおけるジョン・レノンの曲のような感じのものとは同じレコードに収録されていない(あえてバラエティーにとんでいる感じを狙ったコンピレーションやサウンドトラックなどの場合は別として)。

にもかかわらず、ジョン・レノン「アイム・ルージング・ユー」とヨーコ・オノ「アイム・ヌーヴィン・オン」などはテイストが似ていて、きれいにつながっていたりもする。まさに「ダブル・ファンタジー」というのか、タイプの異なった者同士が、それぞれの個性を認め、愛し合い、影響し合っている様というのが表現されているのではないかと、当時にはよく分からなかったことが分かったりもする。