ピチカート・ファイヴ「カップルズ」

ピチカート・ファイヴの最初のアルバム「カップルズ」は1987年4月1日に発売され、個人的にはわりとすぐに渋谷にあったCSVというレコード店で買ったことが思い出されるのだが、後に「渋谷系」だとか和製ソフトロックの名盤として評価されることになるこのアルバムをリアルタイムで買っていたからといって、かなり気に入って聴いていたかというとそんなことはまったくなく、よく分からなかったというのが正直なところである。それは、このアルバムを気に入るのに必要な音楽リスナーの素養や経験値のようなものが当時の自分に欠けていたからだとは思うのだが、実際にそれほど売れてはいなかったということなので、当時の日本のポップシーンにおいてはかなり早すぎたということがいえるのかもしれない。

そもそもどうしてこのアルバムを買おうと思ったかというと、ピチカート・ファイヴのデビュー12インチシングルである「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」をかなり気に入っていたからである。このシングルは「カップルズ」の約1年半も前にあたる、1985年8月21日に発売されている。当時、浪人生で文京区千石の大橋荘というところで生活をしていたのだが、NHK-FMでかかったこの曲を聴いて度肝を抜かれた。その時点でグループについての知識はまったくなかったのだが、なんとなく実験的でありながらポップでキャッチー、テクノポップの進化系のように感じられるところもあり、とても良いなと思ったのである。細野晴臣がプロデュースしていると知って、納得がいくところもあった。翌年にリリースされた「イン・アクション」という12インチ・シングルも買って、わりと気に入っていた。

その後、CBS・ソニーに移籍して、やっとアルバムが出たということだったので、買ってみたわけだが、小田急相模原のワンルームマンションに帰って聴いてみたところ、音楽性がかなり変わっているということが分かった。当時はパンク/ニュー・ウェイヴ的にエッジが立った音楽がカッコいいと思っていて、ソフトロックなどというものはまったく知らなかったので、このアルバムを聴いても、なんだこの軟弱でフニャフニャした音楽は、まったくロックが感じられないではないか、というような感想を持ったのであった。当時はブルーハーツやBOØWYなどのロックサウンドが受けていた時代であり、このアルバムのような音楽性はメインストリームからかなりかけ離れていたというか、どのように受け止めるべきなのかよく分からない人が大半だったのではないかというような気もする。

パンク/ニュー・ウェイヴ的なエッジが立っているようにはまったく聴こえず、どちらかというとハイファイ・セットだとかカーペンターズに近い音楽という印象があり、これはあまり好きではないなと感じた。それで、レコード棚には入っていたものの、ターンテーブルに載せることはほとんどなかった。同じ日に買ったZELDA「C-ROCK WORK」の方が気に入っていたぐらいである。

ところでこの年、「ビッグコミックスピリッツ」に連載されていた「キスより簡単」というコミックが国生さゆりの主演でテレビドラマ化されていて、その音楽をピチカート・ファイヴが担当していた。伊藤智恵理が国生さゆりの妹役で出演していて、アイドルという設定でもあったので、デビューシングル「パラダイス・ウォーカー」を歌っていた。このドラマで使われていたピチカート・ファイヴの音楽は、小洒落ていてなかなか良いなと思っていたのだった。

ピチカート・ファイヴのアルバムは1990年の「月面軟着陸」からまた買うようになるのだが、その間はおそらく自分が好むタイプの音楽ではないという認識で、まったく聴いていなかったのだった。1990年といえばフリッパーズ・ギター「カメラ・トーク」がリリースされた年であり、後に「渋谷系」と呼ばれるだけあって、やはり小洒落た音楽でもあるわけなのだが、これにはパンク/ニュー・ウェイヴ的なエッジも立っているというか、ある意味において立ってしかいないとも認識することができたので、それでそんなりと入っていけたような気がする。

「カップルズ」の頃のピチカート・ファイヴでは佐々木麻美子などがボーカルを取っていたのだが、それから田島貴男に変わり、1990年以降は野宮真貴になっていた。1991年のアルバム「女性上位時代」やその前のマキシシングル3連発などの頃には、あたかもピチカート・ファイヴのことがずっと好きだったかのように、普通にCDを買うようになっていたのだが、「カップルズ」の頃とは音楽性もメンバー構成もかなり変わっていた。

1987年に渋谷のCSVで買った「カップルズ」のレコードはとっくにどこかに行ってしまったのだが、やはりこのアルバムには向き合い直してみるべきではないかと思い、CDで聴いたのはかなり後であった。CSVではランDMCのCDや有頂天のケラのピクチャーレコードなども買っていたのだが、「カップルズ」がリリースされてから約9ヶ月後にあたる1988年1月に閉店していたようだ。跡地にあたる神南1丁目15-5には、2022年4月現在、なんとFLIPPER’Sという名前のパンケーキ屋さんがある。

それはそうとして、久しぶりに「カップルズ」を聴いてみたところ、ちゃんと良いと思えたりもするところに、自分自身の音楽リスナーとしての成長なのか節操のなさなのかを感じたりもした。とはいえ、たとえば「皆笑った」では「もう若くないのに」などと歌われてもいるように、これはやはりある程度は大人のポップスであって、トゥーヤングな時分に聴いたとしてもあまりよく分からなくても仕方がない、といえるところもあるのかもしれない。「憂鬱天国」のユーモラスな救いようのなさなども、とても良い。このアルバムが参照しているといわれるソフトロックやA&Mポップス的なものの良さも少しは理解できるようになったというか、一般大衆的にも良いものとして浸透してlったことが大きく影響していると思われる。