R.E.M.「マーマー」

R.E.M.のデビューアルバム「マーマー」は、1983年4月12日にリリースされた。全米シングル・チャートの1位はマイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」で、5位以内にはカルチャー・クラブ「君は完璧さ」やデュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」もランクインしていた。MTVがヒットチャートにも本格的に影響をあたえはじめていた時期だといえる。当時、全米シングル・チャートを追いかけていたり、洋楽をある程度は主体的に聴いていた人たちのうち、どれぐらいの割合が「マーマー」を聴いていたかは定かではないが、当時のメインストリームとはまったく異なった音楽性だったようには思える。

個人的に「マーマー」のことを知ったのは、アメリカの「ローリング・ストーン」誌で、マイケル・ジャクソンの「スリラー」を抑えて、年間ベストアルバムに選ばれたという情報によってであった。「スリラー」は正確には1982年にリリースされているのだが、ほとんど年末であったこともあり、1983年の年間ベストアルバムの対象になったのだろう。1981年の秋にデビューした松本伊代が、中森明菜や小泉今日子と同様に「花の82年組」と呼ばれているようなものだろうか。それはそうとして、当時、リアルタイムで「マーマー」を聴くことはなかった。しかし、当時のメインストリームであったシンセポップ的なサウンドではまったくなく、どちらかというとバーズなど、60年代のフォークロックのような音楽性であり、ボーカルは一体何を歌っているのか、英語を母国語とするリスナーにも完全にはよく分からない、という情報は入っていたような気がする。

1985年に水道橋の予備校、研数学館に通っていた頃、神保町のキムラヤというディスカウントストアの店頭で輸入カセットテープが売られていて、R.E.M.の「玉手箱」を買おうかどうか迷った末に、結局は買わなかったことが思い出される。限られたスペースでかなりセレクトされたタイトルしか扱われていなかったので、R.E.M.の「玉手箱」はまあまあ注目されていたのではないかと思われる。この時点で全米トップ40に入るようなヒット曲はまだ出ていないのだが、メインストリームのヒットチャートとはまた別の、カレッジラジオとかいうものがアメリカでは盛り上がっているらしいというような情報も入ってきてはいた。それにしても、80年代の半ばには渋谷の駅前などにも輸入カセットテープの露店が出ていたりしていたものだが、いつの間にか見かけなくなった。

1987年のアルバム「ドキュメント」からシングルカットされた「ワン・アイ・ラヴ」が全米シングル・チャートで最高9位を記録し、いよいよメインストリームにも進出していったわけだが、レーベルもI.R.S.からメジャーのワーナーに移籍した。アルバム「グリーン」からシングルカットされた「スタンド」のビデオを深夜のテレビで見たのだが、これはキャッチーで分かりやすく、なかなか良いのではないかと思ったので、渋谷のタワーレコードでCDを買った。当時、輸入盤のCDは紙でできた縦長の箱に入って売られていることも少なくはなく、アナログレコード用の棚でも陳列しやすいようにだとも、万引き防止のためだともいわれていたような気がする。

80年代の終わりに、アメリカの「ローリング・ストーン」誌が80年代のアルバム・ベスト100を発表するのだが、1位に選ばれたのはザ・クラッシュの「ロンドン・コーリング」であった。1979年のアルバムだというのが周知の事実なのだが、アメリカでは少し遅れて1980年に入ってから発売されたという理由で入れてしまうところが、けして嫌いではない。というか、かなり好きである。以下、プリンス&ザ・レヴォリューション「パープル・レイン」、U2「ヨシュア・トゥリー」、トーキング・ヘッズ「リメイン・イン・ライト」、ポール・サイモン「グレイスランド」、ブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」、マイケル・ジャクソン「スリラー」に次いで、8位に選ばれていたのが、R.E.M.「マーマー」であった。1983年の年間ベスト・アルバムでは「スリラー」を抑えて「マーマー」が1位だったが、ここでは「スリラー」の方が1ランク上回っていた。

それはそうとして、これはいよいよ「マーマー」をちゃんと聴いておかなければいけないなと思い、やっとCDを買ったのであった。当時はパブリック・エナミーやデ・ラ・ソウルなどのヒップホップが最もカッコいいと思っていて、インディーロックに対する興味や関心が薄れていた頃ではあったのだが、なるほど、こういうやつか、と感じることはできた。レーベルからは別のプロデューサーを提案されたのだが、レコーディングを開始してみたところ、音をいじり過ぎるようなところもあったので、バンド側からの要望で、それ以前のプロデューサーに交替したようだ。当時の主流であったシンセサイザーが入っていなければ、ギターソロもない。ひじょうに地味であるようにも感じられるのだが、その分、時間が経ってもけして古くは感じさせないサウンドであることは、その後にじゅうぶん実証されている。

歌詞は聴き取りにくい上に難解でもあり、歌詞カードも付いていなかったのだが、それだけミステリアスで知的な印象にもつながっていたようだ。フォークロック的ではあるのだが、明らかにパンク/ニュー・ウェイヴ以降のセンスは実にユニークではあるのだが、それほど分かりやすくもないため、万人に受けるタイプではなかったと思われる。それでも、全米アルバム・チャートでの最高位は36位とまあまあ売れてはいたようである。ジャケットで描かれているのは、有害な雑草のクズである。

90年代に入るとR.E.M.のメインストリーム化はさらに進んでいき、大人のオルタナティヴ・ロックのような感じで評価されるようにもなっていく。一般的には、1992年のアルバム「オートマティック・フォー・ザ・ピープル」が最も高く評価されているのだが、その次に来るのがこの「マーマー」だろうか。確かに同じバンドによるアルバムであり、共にR.E.M.の個性がじゅうぶんに感じられるのだが、音楽性はかなり異なっている。ひらめきと独特なポップ感覚という点では、「マーマー」の方であろう。