1978年の邦楽ポップス名曲ベスト20

1978年の日本でヒットした流行歌やその他のポップソングから、特にこれは名曲なのではないかと思えるものを20曲選んでいきたい。

20. みずいろの雨 – 八神純子

当時の日本におけるポップミュージックのトレンドといえばニューミュージックの流行であり、それは日本国民の生活水準の向上とも関連していたように思える。

ポプコンことヤマハポピュラーソングコンテストがきっかけでデビューした八神純子は5枚目のシングルにあたるこの曲がオリコン週間シングルランキングで最高2位のヒットとなりブレイクを果たした。ハイトーンのボーカルとテレビではキーボードを弾きながら歌うスタイルが印象的であった。

19. 闘牛士 – Char

天才ギタリストとして知られるCharだが、職業作家によって提供された「気絶するほど悩ましい」がヒットして、自身の志向性とは異なる歌謡ロック路線で売り出されていた。世良公則、原田真二と共にロック御三家などとも呼ばれ、そのルックスからアイドル的な人気も高かった。

この曲は4枚目のシングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングでは最高19位を記録している。作詞は阿久悠、作曲はChar自身によるものである。

18. 埠頭を渡る風 – 松任谷由実

荒井由実時代から数えて12枚目のシングルとしてリリースされ、オリコン週間シングルランキングでは最高71位を記録した。

アルバムは毎回ヒットしていたのだが、シングルヒットからは遠ざかっていて、「あの日にかえりたい」の第一次ブームと「守ってあげたい」以降の第二次ブームとの間の時期であった。とはいえ晴海ふ頭について歌われたこの曲はライブでもひじょうに人気が高い曲となり、逗子マリーナではラストに歌われ花火が上がるのが定番であった。

現在ではシティポップの名曲としても知られている。

17. バイブレーション(胸から胸へ) – 郷ひろみ

ニューミュージックがひじょうに盛り上がっていたものの、ピンク・レディー、沢田研二、山口百恵、西城秀樹、郷ひろみといった歌謡ポップスの大物たちには根強い人気があり、新曲がリリースされる度にヒットチャートの上位にランクインしていた。この年から放送が開始されたTBSテレビ系の「ザ・ベストテン」を見ても、その状況は明白であった。

郷ひろみにとって25枚目のシングルとなるこの曲の作曲はピンク・レディーでヒット曲を連発していた都倉俊一、作詞はこの翌年からプラスチックスに参加する島武実である。オリコン週間シングルランキングでは最高6位を記録した。

16. 飛んでイスタンブール – 庄野真代

ニューミュージックの流行を反映して、この年の「NHK紅白歌合戦」にも何人かのニューミュージック歌手やグループが初出場を果たした。5枚目のシングルとなるこの曲がオリコン週間シングルランキングで最高3位となるヒットを記録した庄野真代もそのうちの一人であった。

歌謡ポップスが職業作家によって書かれた曲を歌手が歌っているのに対し、ニューミュージックのアーティストは自作の曲を歌っているというイメージがなんとなくあったが、実際にはニューミュージックとされている楽曲にも職業作家によって書かれたものは少なくはなかった。

この曲も筒美京平が野口五郎のために書いたのだがストックしていたものに、ちあき哲也が詞をつけたのであった。イスタンブールというトルコの都市が舞台となっていて、サウンド面においてもエキゾチックな異国情緒が感じられるよう工夫がなされている。とはいえ、庄野真代がヒットから数年後に訪れたイスタンブールの街は、この曲のイメージとはまったく異なっていたようだ。

15. HERO(ヒーローになる時、それは今)- 甲斐バンド

甲斐バンドは1974年にデビューした福岡出身のロックバンドであり、翌年には「裏切りの街角」をヒットさせていた。とはいえ、この当時の小中学生あたりにはそれほど知られていなかったように思える。

当時の子供たちの憧れのアイテムにデジタル腕時計があり、中学校の入学祝いとして買ってもらう者も少なくはなかった。この年の12月20日にリリースされたこの曲はセイコー腕時計のCMソングに起用され、翌年の元旦午前0時にはメンバーが出演したテレビCMが民放各局で一斉に放送された。

ニューミュージックの新しいバンドだと思ってこのレコードを買った人たちもけして少なくはなかったのではないかと思えるのだが、2月にはオリコン週間シングルランキングで初の1位に輝いたのだった。

14. たそがれマイ・ラブ – 大橋純子

北海道夕張市出身の大橋純子は1974年に上京後、圧倒的な歌唱力が評価されレコードデビューを果たした。美乃家セントラル・ステイションをバックに、シティポップの名盤と再評価されるようなレコードもリリースしていく。

それらに比べるとやや邦楽テイストなこの曲は阿久悠と筒美京平によって書かれ、TBSテレビのドラマ「獅子のごとく」の主題歌になった。オリコン週間シングルランキングでは最高2位のヒットを記録した。

13. チャンピオン – アリス

「冬の稲妻」「涙の誓い」「ジョニーの子守唄」が立て続けにヒットして「ザ・ベストテン」でも歌謡界のビッグスターたちと並んで常連化していたような印象が強いアリスだが、当時の記憶としては主に男性から支持されていたような気がする。

ベテランのボクサーが若手に敗れて引退していくというストーリー性も大いに受けて、オリコン週間シングルランキングでも「ザ・ベストテン」でもバンドにとって唯一の1位を記録した。

お笑いコンビ、かまいたちの山内健司が「M-1グランプリ2019」の少し前にアリスと一緒に仕事をしてから自らを鼓舞するために「チャンピオン」をずっと聴いていたという。結果は初出場のミルクボーイに敗れ準優勝となり、その年が結成15年のラストイヤーだった。よくよく考えてみると、「チャンピオン」はチャンピオンになる曲ではなくて、若手に負けて引退する曲だったということに大会が終わってから気づいた、というエピソードトークが最高である。

12. かもめが翔んだ日 – 渡辺真知子

実は職業作家によって書かれていたニューミュージックの名曲も少なくはないのだが、渡辺真知子は大ヒットしたデビューシングル「迷い道」がすでに自らの作詞作曲であった。

2枚目のシングルとなるこの曲の歌詞は伊藤アキラによって書かれているが、渡辺真知子の出身地である横須賀をイメージさせるものでもあった。ちなみに作詞をした伊藤アキラは千葉出身だが、プロ野球の千葉ロッテマリーンズが後に球場でこの曲を流すようになった。

この曲で日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞し、初出場を果たした「NHK紅白歌合戦」では「迷い道」(1977年11月1日発売)を歌った。

11. 乙女座 宮 – 山口百恵

阿木燿子と宇崎竜童による楽曲だが、自立した女性のロック的なイメージとは異なり、星座を歌詞にちりばめたスケールが大きくロマンティックなラヴソングになっている。オリコン週間シングルランキングでは最高4位を記録した。

この年には映画「スター・ウォーズ」「未知との遭遇」やアニメでは「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」が日本で公開されたり、オリコンシングルランキングの年間1位は前年末に発売されたピンク・レディー「UFO」だったりとSF的なイメージが流行していたような気がする(テレビゲーム「スペースインベーダー」もこの年の発売である)。この曲を収録した山口百恵のアルバムも「COSMOS(宇宙)」というタイトルであった。

10. 東京ららばい – 中原理恵

80年代には「欽ドン!良い子悪い子普通の子」でコメディエンヌとしての才能を開花させるのだが、デビュー当時の中原理恵といえば都会的で洗練されたイメージであった。とはいえ、高校までを函館市で過ごしていた。

日本国民の平均的な生活水準向上によりシティ・ポップ感覚のようなものが広まりつつもあったこの頃、都市生活の空虚さを描いたこの曲にはなかなか刺さるものがあった。松本隆と筒美京平というゴールデンコンビによる楽曲で、オリコン週間シングルランキングでは最高9位を記録した。当時は19歳だったが、大人っぽく見せるため、2歳上にサバを読んでいたという。

9. 横浜いれぶん – 木之内みどり

木之内みどりといえばこの年に人気絶頂であったにもかかわらず、人気作編曲家(しかも既婚者)との交際が発覚、レコーディングでロサンゼルスにいる彼の元へ逃避行の末に引退ということが話題となり、個人的にはそれによってひじょうに好感度が上がっていた(社会人としてはもちろん良くないことではあるにしてもだ)。

グラビアやテレビドラマでは活躍していたものの、レコードではオリコン週間シングルランキングで最高28位を記録したこの曲が最大のヒットである。清純派路線を脱し、いわゆるがらっぱち三部作といわれるうちの1曲である。カジュアルに悪そうなイメージと絶妙なエロティシズムが感じられもするボーカルの魅力が生かされた、素晴らしい楽曲である。現在は竹中直人の妻となっている。

8. 春の予感~I’ve been mellow~ – 南沙織

1971年にデビューして「17才」などのヒット曲を連発した南沙織がすっかり大人になってからリリースした、通算25枚目のシングルである。

資生堂のキャンペーンソングに起用され、オリコン週間シングルランキングでは最高25位を記録した。作詞・作曲はこの前の年に同じく資生堂のCMソングとして「マイ・ピュア・レディ」をヒットさせた尾崎亜美である。

この年に24歳の誕生日を迎えた南沙織は在学していた上智大学での学業に専念するため、歌手引退を発表した。

7. プレイバック part 2 – 山口百恵

「馬鹿にしないでよ そっちのせいよ」のフレーズが印象的な山口百恵の代表曲の1つで、オリコン週間シングルランキングでは最高2位を記録した。

歌詞でカーラジオから流れている「ステキな歌」とはこの前の年の日本レコード大賞を受賞した沢田研二「勝手にしやがれ」で、歌い出しの「緑の中を走り抜けてく真紅なポルシェ」というフレーズは公共放送のNHKで歌う際には「ポルシェ」が「クルマ」に差し替えられていた(後に「ポルシェ」と歌っても良くなったようだ)というようなエピソードでも知られる。

「プレイバック」というタイトルで馬飼野康二と宇崎竜童に作曲が依頼され、宇崎竜童の方採用された。これが「part 2」であり、馬飼野康二によって書かれた方が「part 1」(ベストアルバム「THE BEST プレイバック」に収録されている)。

6. グッド・ラック – 野口五郎

野口五郎の28枚目のシングルで、作詞が山川啓介で作曲は筒美京平である。

曲調もアレンジもシティポップだが、歌謡曲的なボーカルとのマッチングに絶妙なオリジナリティーを感じる。オリコン週間シングルランキングでは最高4位を記録した。

5. 時間よ止まれ – 矢沢永吉

矢沢永吉は「ザ・ベストテン」をはじめテレビの歌番組には出演していなかったものの、資生堂のCMソングであったこの曲はテレビやラジオからよく流れていて、オリコン週間シングルランキングでは3週連続で1位を記録した。

イントロの1音目が聴こえた瞬間にこの年の夏の気分が甦るほど、当時の気分を象徴していたようにも思える。レコーディングにはこの年にイエロー・マジック・オーケストラを結成した坂本龍一、高橋幸宏、後にNOBODYを結成する相沢行夫、木原敏雄、木之内みどりと交際し再婚することになる後藤次利などが参加している。

4. 微笑がえし – キャンディーズ

1970年代を代表するアイドルグループとして歌番組のみならずバラエティーでも活躍していたキャンディーズだが、この前の年に「普通の女の子に戻りたい」と解散を宣言し、この曲が活動中にリリースされる最後のシングルとなった。

解散後はソロに転向するのではなく引退すると発表されていたこともあり、感傷的な気分はひじょうに高まっていた。

恋人同士の前向きなお別れをキャンディーズとファンとの関係とのダブルミーニングにし、過去のヒット曲をフレーズに散りばめた歌詞が春の雰囲気ともひじょうにマッチしていて、オリコン週間シングルランキングでは悲願であった初の1位に輝いた。

3. Mr. サマータイム – サーカス

姉弟と従姉からなる4人組コーラスグループ、サーカスの2枚目のシングルで、カネボウ化粧品のCMに使われオリコン週間シングルランキングで1位に輝く大ヒットなった。

オリジナルは1972年にリリースされたフランスのポップソング「愛の歴史」で、不倫の恋を後悔する女性の曲となっている。

この年の夏といえば矢沢永吉「時間よ止まれ」とこの曲の印象が強いのだが、ビリー・ジョエル「ストレンジャー」、ビー・ジーズ「恋のナイト・フィーヴァー」、アラベスク「ハロー・ミスター・モンキー」といった洋楽もオリコン週間シングルランキングで10位以内にランクインしていた。

2. タイム・トラベル – 原田真二

1977年にフォーライフレコードから「てぃーんずぶるーす」でデビューした原田真二は、その後も「キャンディ」「シャドー・ボクサー」と3ヶ月連続でシングルをリリースし、いずれもヒットさせていた。

洋楽的ともいえるポップセンス溢れる音楽性と甘いマスクが受けて、すぐにアイドル的な人気を獲得するに至った。この曲は4枚目のシングルとしてリリースし、オリコン週間シングルランキングで最高4位のヒットを記録した。

また、この曲によって原田真二もまた「NHK紅白歌合戦」に初登場を果たし、世良公則&ツイスト、渡辺真知子、サーカス、庄野真代、さとう宗幸と共にニューミュージックコーナー的なパートでの出演となった。

1. 勝手にシンドバッド – サザンオールスターズ

渡辺プロダクションでキャンディーズなどのマネージャーを務めていた大里洋吉は独立後に新人アーティストの原田真二を売り出すため、新事務所のアミューズを設立した。

人気絶頂ではあったのだがアイドル的な売り出し方を不満にも感じていた原田真二は「タイム・トラベル」がヒットした後に、RCサクセションなどが所属していた音楽事務所、りぼんに移籍した。その2ヶ月後にアミューズに入ってきたのが青山学院大学で結成されたバンド、サザンオールスターズであった。

6月25日にリリースされたデビューシングル「勝手にシンドバッド」はラジオでよくかかりはじめたのだが、それまでまったく聴いたことがなかったタイプの祝祭感あふれる音楽性に、早口や巻き舌などで何を歌っているのかよく分からないのだが、確かになんとなく伝わるような気がするボーカルなどで注目をあつめるようになった。

しかし、当時の日本の流行歌にこのようなタイプの曲はなかったため、どのように受け止めるべきかがよく分からず、コミックソングのようなものとしても聴かれていたような気がする。そもそもタイトルからしてこの前の年の大ヒット曲、沢田研二「勝手にしやがれ」とピンク・レディー「渚のシンドバッド」を組み合わせ、さらにドリフターズの志村けんがコントで使っていたものであったし、テレビに出演すればランニングシャツのようなものを着てお祭り騒ぎ的なグルーヴ感を醸し出していた。

じわじわと人気が出ていって、最終的にはオリコン週間シングルランキングで最高3位、「ザ・ベストテン」でも最高4位のヒットを記録した。次のシングルは11月25日にリリースされた「気分しだいで責めないで」で、「勝手にシンドバッド」の延長線上にあるような楽曲であった。前作の余波でヒットはしたものの、オリコン週間ランキングで最高10位、「ザ・ベストテン」では最高7位と失速とネタ切れ感は否めなく、桑田佳祐はテレビで「ノイローゼ」と連呼していた。